もっとこの話、聞きたいかね。聞きたくないなら、どうぞ聞かないでくれ給えよ。何のために書いているかって… 自分のためでしかないんだから。
中学? うん、二年以上行っていないよ。小学も、五年六年の通信簿は、出席日数0,0,0だった。要するに私は、あまり「教育」を受けていないんだよ、「みんなが受ける」ところの教育を。
中学の話もしてみようか。いや、聞きたくなかったらいいんだよ、ほんとうに。
小学もね、出席日数なんか関係なく卒業した。ウラ金なんか親は使っていないよ、そういう親じゃない。校長先生の一存で決められるそうだ、私みたいな子どもの卒業は。
もし卒業させてくれなかったら、W先生が「院内学級」をやっているから、そこを卒業する形にできる、って話も聞いたような気がする。卒業証書なんて、自動販売機から出てくるようなものだからとか、W先生、言ってたという話も聞いた気がする。
まあいいや、続けよう、中学に入ったら、私は毎日休まず登校を始めたよ。
どうしてかねえ。言えるのは、… またつまらない比喩になるが、「行かなきゃダメ」の一方通行の細い道でなく、広い空き地に出たような気がする。そこからの風が、気持ちよかったよ。もしかしたら、「自由」を与えられた気になったのかもしれない。行ってもいい、行かなくてもいい、という自由を。
でもね、三学期からパタリと行かなくなったな。原因は、この時はハッキリしているよ。
友達から誘われてバドミントン部に入ったんだが、部活のある日にしか登校しなくなっていたんだ。二学期の…後半あたりからかな。
で、ある日同じ部員に言われてしまったのさ、「バドミントンのある日だけ来るなよな」
私は思ったよ、「あ、部活のある日も休まなくちゃ」
それから、再び学校に行かない生活に入った。
うん、何だかんだ、友達はいたんだよ。家に、というか自分の部屋に閉じこもっていても、友達は来てくれたな、小学生時分も。休み始めて、だいぶ経ってから「お見舞い」みたいな形でね。私は身体が弱くて学校に来れない、と担任の先生はクラスに説明していたらしいから。
よく遊びに来てくれる友達がいて、よく将棋を指したりしたよ。
ひとりで部屋に閉じこもっている間、何をしていたかって? マンガを書いたり読んだりしていたよ。父は集英社に勤めていて、「少年ジャンプ」を毎週持って来てくれていた。顔を合わせるのがイヤな私だったから、父は階段の曲がり角にいつもそっと置いておいてくれたよ、少年ジャンプ。父との唯一の繋がりが、この雑誌だったね。ほんとに顔を合わせることがなかったよ、お父さんとは。
さて中学に入って、…結局また学校に行かなくなったが、二年の春頃から、友達が毎日遊びに来始めた。
楽しかったよ。六人位の男女がね、学校帰りに家に来てくれたんだ。同じクラスの子もいたし、別のクラスの子もいたみたい。
私には、ほんとうに楽しかった想い出だよ。… 聞くかい?