日曜の朝

さて、私は自意識によって自分で自分を苦しめたとしよう。

自分はまともではない、普通ではない、として。みんな・まわりとくらべて、自分はそうではないのだとして。

ここには落とし穴があるよ。

「違うのだ、自分はみんなと同じでないんだ」と思うことによる、自己陶酔。

「自分はきっと間違っていない、まわりが、社会が悪いのだ」とする自己正当。

そうして引き籠もっていく。ひとりでひとりに輪をかけて。周囲との隔絶、一本の強固な極太の線を引き、結界をつくって。

そうして世捨て人になっていく。この世を捨てるなんてできないのに(なぜって、この世以外に生き場はないんだから)捨てた気になって。

誰かの作ったコメを食べ、引かれた水道を飲み、植物の出す酸素によって全生物が生きているというのに、まるでひとりで生きてる気になって。

細部に神は宿るというのに、細部を自分の都合のいいところしか見なくなって。

そうしてひとり、心細くなって。心細くなるから、また細部を都合よく解釈しようとする。

この循環の中で、自分で掘った落とし穴に自分で落ちていく。

とっかかり・・・・・を求めて、こんなネットで自己承認願望を満たそうとする。ほんとは読まれたいくせに、軽薄なSNSだと言いながらせっせとブログなんかを書いて。

あたかも、誰かと繋がれる、繋がれることを求めて。自分がここにいることを、知って欲しいだけのために。

── なんて、自分を追い詰めるのはもうやめようよ。