「哲学」という呼称、あまり好きでない。「考える(こと)」でよい。
 哲学というと、机上の空論、実際と頭の中とが明確に分けられてしまう。そんな線引きなど要らないのだ。
 分ける。区別する。差別する。こんな線引きこそ失くすがよい。文系、理系だの、こんなのだってどうでもよい。利便、便宜── 学問する・勉強することに、そんな区分けなど要ろうはずもない。
 己を、型にはめようとするな。己が型をつくれ。創れ、創造せよ。

 お前は根なし草だ。風船だ。お前の場所を、お前でつくるしかないのだ。公道から逸れる運命をもったものは、自分でつくるしかないんだよ。誰のためでもない、お前の運命のために。

 こないだ、「算数が好きだったのに、なぜ理系の大学に行かなかったのか」若者に訊いた。彼にしてみれば、将来の就職のことや「算数」が「数学」になってから嫌いになってしまったこと、大学と自宅の通学距離のこと等を考え、結局経済学へ進んだということだった。

 選択、あれかこれかの選択。最終的にAかBかを選ぶのは自分だが、最初からずいぶんと狭められている・・・・・・・なぁと思った。そして結局、就職。まったく、職に就かなければ生きて行けないなどと、誰が決めたのだろう?

 彼は彼としてしっかり生きている。だが、お前は公道に乗れぬ人間だ。そんな車輪を持ち合わせていなかったのだ。公道からお前は外れる。お前の意思と関わりなく。だがお前の車輪はお前の身体に備わったままだ── お前は自殺を試みる。こいつを爆破すべく。あにはからん、お前は死ねなかった。のめのめと、ごろごろ車輪が回る。お前は惰性でお前自身に乗っていく。

 なんとぶざまな生か! お前は最後の砦に、お前の死を持って来る。この世は生きるに値しないと断じて。そして生きるに値する世界など想像もできない。そこでお前にぽっかり穴が開く。お前には何もなかった!
 埋めようと、お前はする。埋めよう、埋めよう。泣きながらお前は運搬する。

 お前は運搬する、轍だけが残る。反復の轍だけが残る。楽だろう? お前はお前の惰性に乗ったのだ。あとは、お前のつくった轍を往復するだけだ。
 お前は何も創造していない。ただ過去になっただけだよ。ただの線だ。便宜上の意味もない、何の実利性もない、役立たずの、無用の線。

 何になったとしても、お前は何にもなれないのだ。そうしてまた、ぎこぎこ車輪を回す。何かにならぬよう、何ものにもならぬよう。なりそうになったら、お前は踵を返す。どこへ往くのか知らぬ。あてもない。ただここでない・・・・・ところへ。ここでない・・・・・、それだけのために。