本当の真実

 真実とは、永遠普遍のものであるはず。そのようなものが、この世にあるのかという話だ。
 真実…それはあるけれども、人間の手中に収めることはできない。時の流れのようなもので、人間の抗うことのできない、絶対的なもの。
 この前にあっては、誰もが無力になってしまう。

 人間個人、ひとりひとりの中にも、この真実がある。誰かに誉められれば嬉しく、叱られれば悲しい。
 この感情の浮き沈みは、その相手によってもたらされたものだ。
 でも、相手に何か言われたことで、なぜ感情が動くのか、分からない。自分の中の「何か」によって動かされる。

 功名心であったり恐怖心であったりするのが原因だとしても、その心が何故あるのか分からない。
 さらには、なぜ相手がそのようなことを言ったのか、相手にそう言わせたものの正体が分からない。

 この「分からない」ものの中に、真実がある。そして人間の、どんな考えも想像力も、この真実を突き止めることはできない。
 ひとりひとりの自己の中にあるにも関わらず、この正体不明のものに、ひとりひとりが常に振り回されてしまう。

 この自己を動かす無形のものに、注意を払う人は少ない。動いた自分の感情、気分こそが真実だと思い込むために。
 自分を動かしたのは相手であり、相手に対する好感、嫌悪の情に自分が捕われるために。そしてそれも、確かに真実なのだ。

 すると、困ったことになる。自分の手中にない絶対的な真実と、今自分が感じている確かな真実との2つがあることになってしまう。
 頭の足りないわたしが考えるだけで2つもあるのだから、地上に存在するひとりひとりが真実とするものを集めたら、途方もない数の真実があることだろう。

 でも、わたしは人の手に負えない、掌握できることのない、「人間を動かすもの」…ひとりひとりの中にありながら、その自己を動かすもの…に、本当の真実があると思いたい。
 なぜなら、それが万人に共通する唯一のもので、それを本当の真実とすることで、黒人も白人もなく、アジアもヨーロッパもなく、女も男もなく、存在する生命に差別など無いという意識の臍帯になると思えるからだ。