「昨日、川沿いの道を歩いてたんだがね」
「うん」
「ふと川面を見ると、そこにカメがいたのさ。スッポンだった! ちょうど段になっている所で、その下は滝みたいにざあざあ水が落ちている。
その崖っぷちの所に、じっと動かずにいるんだ。しばらく見ていたが、ちっとも動かない。長い首を出して、顔を下に向けている。
やがて合点がいった。スッポンは、死んでいたんだよ。甲羅だけ、水面に出ていたんだが、白かった。カサカサに乾燥していた。一昨日の雨で流されて、ちょうどそこに止まったんだね。
よく見れば、太い首元が、少し腐っているようだった。皮膚が、川の流れに、細かく、小さくバラけていくようにも見えた。出しっ放しの手足も、腐敗していくのだろうね。
何ともいえない。いやな気持ちになって、その場を後にした。いやな気持ちのまま、歩いたよ。かわいそうに、と思った。どうして死んだんだと思った。ちょっと、涙ぐんじまったよ。
歩いているうち、ふと思ったんだ。『死体とは、惨むごいものだ。でも今、どっかのバカモンが、人間の、こんな死体をつくっているんだ』と。
それから、また思ったよ、『教育… もしかして、子供の頃にこの死体というものを目の当たりにして、その悲惨を知ったら… 戦争は、こんな無残な死体をつくるのだと知ったら、誰も戦争なんかしなくなる、戦争に絶対反対の大人達の世界になるのじゃないか』と」
「昔、ある小学校で、食用に養豚されたハナコさんを解体しようという話が出た。
人間は、命を殺して食べているのだ、ということでね。だが、保護者から反対された。残酷すぎる、と。不思議だよね、当たり前のことを教えようとしたのに。
また、昔々には、お坊さんたちが人間の死体を見続ける修行をしていた国もある。人間は誰もが必ず死ぬ。誰もが、こうなるのだ。このことを、見続ける勇気、それは過酷な修行だった。蛆うじ虫が湧き、眼はこぼれ落ち、鳥どもが死体を突つく。内臓がむき出される。眼を背けたくなる光景を、見続けるのさ、白骨化するまでね。
醜悪なものを見続けることは、おのれの醜悪な心にも打ち克てる、という意味もあったろう。まして絶対的な現実、眼の前の、自分もいずれそうなる死体の末路を見るのだからね。
戦争を起こすのは醜怪で残酷な心の問題だから、その修行は一種の平和運動でもあったかもしれない。
けれど、どんな教育、どんな反戦争の心を養う環境に生きたとしても、それが効かない人間がいる。ごく少数だと信じたいが、おそらくその極少数が、戦争をおっぱじめたり、民を洗脳したりして、人間を戦火に巻き込むのではないか。
あの暴君ネロだって、立派な教育を受け、素晴らしい環境に育ったが、その残虐性が消えることはなかった。そのような性質をもった人間に対して、我々に何ができるね? きみに、どんな手立てが、どんな手段が思い付くね? きみに何が考えられるね? きみにどんな想像ができ、どんな知恵が持てるかね?」
「……」