ぼくの初体験は19歳のときだったけれど、そうなるべくして、そうなったということであった。
彼女はとてもぼくを好いていてくれたし、ぼくも彼女が好きであった。
結局ラブホテルに行ったのであるが、そこで、そういう行為をしたということなのであった。
ぼくはエッチな、つまりエッチを生理的に好む人間(「男だから」とか言うまい)であるので、エッチは嫌いなどころか、好きであるはずなのだが、イザそういう行為に及ぶとき、なんとなく申し訳ないような、妙に醒めたような、荒野にひとり佇んでいるような気分に襲われるものであった。
何も、こんなこと、しなくても、いいんだけどなぁ、という、どこかガッカリしたような気持ちに、なってしまうのだった。
その行為の前からである。
何が、そういう気持ちにさせるのか、わからない。
気取っているつもりはないし、煩悩の虜になりたいとさえ思うほどである。
しかし、なんだか「よくわからない」ふたりの共有する現実、つまりラブホテルなんかの一室で、なんでこんなことをしてしまうのだろう、と思うのだった。
セックスすることを、希求していたにも関わらず、なのである。
抱きしめたい、と思う。抱きしめると、セックスをしたいと思う。
だが、イザその段になったら、何か大切なものが失われそうな、こわい気持ちになってしまうのである。
19で、して以来、何回か、ぼくは好きになったひとと、そういう関係になった。
結婚していた8年間は、妻以外のひとと、そういう関係に発展したことはなかった。
だが離婚してから、急に、自分でいうのも何だが、モテ始めた、といってしまってもいいと思う。
よくいえると思うが、実際、そうだったのだ。
東京の福生にアパート借りて住んでいた半年の間が、一生のうちでモテる時期が必ずあるのだという、その時期であったのかもしれない。
仕事をしようと思って、愛知にまた行って、ぼくはまたひとりで寮に入ったが、とにかくあれは不思議な季節であった。
話が逸れてしまったが、だが、やはり、肉体関係、つまりセックスは、どこか、どうしても、かなしさのようなものが、つきまとう、ということが、いいたいのであった。
恋愛関係にあり、つまり愛し合っている者どうしだと、なおさらになのである。
こんなもんじゃないんだ、という、自分のなかで、何かが、抵抗、反抗、しているのである。
できれば、そういう懊悩めいた、ひとりの世界に埋没せずに、快適なセックスライフ(?)をたのしめたらと思う。
ほとんど、願望である。
だが、ほんとうにそれを願っているのかといえば、そうでもなさそうなのである。
ぼくは、ただ、一体、何なのだろうか。