永遠の生命があてがわれたとして、それでイキイキと生きることができるかといえば、できまい。
それは、欲望の上にのみ成就する夢。あり得ないこととして、その場限りの慰安のための、夢の中でまどろむことができる自由を与えられた、憩いのとき。
永遠を願う心。それ、まぼろし。
永遠とは、変わらぬものではない。
変わりながら、つづくこと。
つづきながら、変わっていくこと。
自分を含め、相手も含め、その関係も含め。
死が、生の対極にあるなら、よく死ぬことが、よく生きることだ。
よく死ぬとは、よく死を見ることだ。感じることだ。考えることだ。
すると、よく生きれる。よく生を見れ、感じ、考えることができる。
自分の死をモノにした時、残念なことにその時自分は死んでいる。
見れない。感じることも、考えることも不可能。
でも、まわりに、死や、死に相当するほどの痛苦を抱く人がいるとする。
本や、歌の歌詞でもいい。その存在、その実在、それを、自分のものとして、受け入れてみよう。
ホラ、なんだか、痛みがわかる。死が、どういうものかも、知れる気がする。
想像力、想像力、イマジネィション。
恋とか愛も、終わりがあるから、いい。
あるいは、変わってく関係。それでも続いてく関係。相手のこと想えば、相手がどんな状態か、わかるよ。
想像力から始めよう、生命も、愛も。