褒められたり、微笑みをもって何か評価されたり、気を掛けてくれる言葉、それは、そんなに悪いものではなかった。
それらの言葉、ひとから発せられたそれらの言葉、自分に向かって、ぼくはそれらの言葉を受ける。
表層、皮膚の外側、うぶ毛の尖端をたなびかせ、ぼくはその表層、皮膚の外側、うぶ毛の尖端から、自分の中へそれらの言葉を引っ張り込む。
触手を伸ばし、それらをつかみ、引っ張り込む。
手を伸ばさないでも、自分の中に溶け込んでくる言葉をもらったのは、久し振りだったことに気づくまで、時間がかかった。
「好き」とか「よく眠れますように」とか。
誰が?おれが。
誰からもらった? 女のひとから。
表層、皮膚の外側、うぶ毛の尖端を流れ、それをつかんで自分に取り入れる作業に慣れていたことにも気づいた。
おれが内部から穢い手を伸ばしてそれらをつかむ必要など微塵もない。
そのひとの内側の底の方から、こっちに向かった言葉は、そのまま自分の内側の底の方へ、落ちた。
皮膚の内側、毛細血管、未だ体内にその記憶が留められているはずのミトコンドリアたちの上に、ぽとりと。
何の奇異さもてらいもなく、皮膚の内側、毛細血管、ミトコンドリアの上に、皮膚の内側、毛細血管、ミトコンドリアの如きものから向けられた言葉は、静かに落ちる、ぼくはきょとんとした、まるで気がつかなかった。
まわりをきょろきょろ見渡したら、誰もおれに、しばらくそんな言葉を投げかけてくれなかったことに気づいた。
表層、身体のまわりにまとわり続けている蔦、おれが生き続けるためには水をやり、日光に照らし、おれが生きるためにやってきた行為。行為、行為、行為。金銭、メシ、労働、コンビニ、時計。表層の重さ。
ふっと、何でもない。
やさしい言葉は、とってもシンプルだった。