好みのタイプというのが、ない。
ないというか、わからない。
テレビなんかで、「あ、可愛いな、素敵だな」とか感じたことはある。
けれど、それは単なる印象で、「好み」というのはまた別の次元であると思う。
憧れとか、イイナァ、というのは、理想であって、現実的でない。
自分にとって「好みのタイプ」とは、実際にそのひとと会ってみないことには、ほんとうにわからない。
そのひとと一緒にいるとき、「あ、こういう人が、自分の好みのタイプだったんだ」と気づく。相手に、気づかせてもらうのだ。
「ほら、ワタシがアナタの好みのタイプなのよ」と、『教えられる』。
だから、そういう相手と実際に会ってみない限り、自分の中には最初から好みのタイプというのは、ほんとうに『ない』。
淋しいといえば淋しい話。
それは、相手と自分の間に流れる川のようなもので、それを目の当たりにしない限り、好みも何も、ほんとうに考えられない。
自分が自分のままでいられ、相手も自分のままでいられる、そうして、おたがい好きになり合える関係。
そんな相手こそ、有無も言わせぬ絶対的な「好みのタイプ」である。