加藤和彦「うたかたのオペラ」

 れいによって兄が購入したアルバムで、12、3歳のぼくはこのアルバムを兄のステレオで毎日のように朝から聴きまくっていた。
 15歳になって働き始めたぼくは、給料の使途として「LPの購入」があった。加藤和彦は、当時のその給料の消費先に、少なからず貢献してくれたものだった。
「パパ・ヘミングウェイ」「あの頃、マリーローランサン」「ベル・エキセントリック」などを手に入れ、さらに廃盤になっていた「ぼくのそばにおいでよ」というアルバムさえ中古レコード屋で手中に収めた。

 その加藤和彦にぼくが魅せられたのは、そのフニャフニャした(失礼)猫のような骨のない存在感だったように思う。
 吉田拓郎の「アジアの片隅で」を、加藤和彦の後に聴いてみると、なんと拓郎が雄雄しく感じられたことか! イメージとして加藤和彦は常にニヤニヤ、漂々としていて、つかみどころまるでないのだった。

 レイ・ブラッドベリを読み始めたのも、加藤和彦が当時FMの番組にゲストで来ていた時、「ブラッドベリの小説でね…」と言っていた影響からだった。

 しかし、加藤和彦の凄さのようなものが一番感じられたアルバムは、なんといっても「うたかたのオペラ」である。
 初めて聴いて以来、25年以上聴いていない今も、あのわけのわからない緊張感と、ある種の上流階級の世界に引き込まれてしまう「張り詰め感」と「ゆるい感じ」の同居した不思議な音楽が、今もぼくの心に巣くい続けている。
 あの緊張とゆるめの相対は、加藤さんのしなやかな存在感が、調和させていたのだろうと思う。

 加藤さんは、春のそよ風が人間の形をしたら、ああなるのだろうか、というイメージだ。
 のちに、奥さんの安井かずみが亡くなった後、すばやく後妻をめとったように見えたのも、「さすが加藤和彦」と思わせてくれるに充分な出来事だった。
 だが、自殺…… 悲しすぎた。老後、どんなにボケても、あの細い目でニヤニヤ笑って、穏やかに旅立って欲しかった。