なかなかできることではない。
そう、過日記事にした岡林信康の「金色のライオン」を聴きまくっているのだ。
このアルバム、ほんとに岡林が自分のために好きで歌ってる、そんな感じで、やはり大好きだ。
こうでなくっちゃ、何かをつくる人は。なんて思ってしまう。
たぶんライナーノーツに「キリスト教との訣別」という文字があった。クリスチャンの家庭に育ち、牧師になることを前提に生きて来たような人が、何かをきっかけにそこから脱する。
いわば、自我に目覚める… それまでも自我であったとしても、「新しい自我」に自ずから舵を取る。
よほどのことがあったのか、それが奥様との出逢いだったのか、ぼくにはわからない。
「キリスト教との訣別」という文字も、小学生だったぼくの見間違いかもしれない。
真実はどうあれ、ぼくに大切なのは、このアルバムが岡林の「自分のために」、この思いのようなものがしっかり、迷いなく伝わってくることだ。
そしてほんとにこの「フォークの神様」が、自分の人生の転機、それまでの自分との訣別のようにこのアルバムをつくったのだとしたら… それは何という勇気だったろう!
否定すること、「それは違う」と言える「自我」を持つ前から、宗教信者の家庭に育ち、その家を、つまり親を否定する生き方を選ぶ。これには、とんでもない勇気が要ることのように思える。
そしてこれは、何も宗教に限った話でない。
ぼくは何の宗教も持たないが、「今までの自分」という過去がある。ここから、ほとんど生まれ変わるように、蛇が脱皮するように「それまでの自分」を脱ぎ捨てて行く、そんな生き方。
滅多にできぬ、なかなかできぬことと思う。
それより何より、岡林が好きなように歌っている、このアルバムがやっぱり好きだ。
というわけで、もう一度。
おっと、アカウント停止のため動画再生できず!
ではタイトル曲のライブがあったので、これを。
full albumが良いのだけど…