イメージの世界

おい、ところで恋って何なんだ?

手紙を書いたり、その人のことをいつも想っていたり…
電話をかける時は無上の喜びがあって…
自分が解放されるような状態になる。
ひとりでいる時、常にその人のことが頭にある。
だから自分で自分を縛り付けていることになる。
その人への手紙や電話、その人に向けて何かする時、
自分が解放される思いがする…
そんな時間が、恋してる、って時間であり、状態さ。

ひとり芝居かい?

まぁ、そういうことになるな。
でもこれは人間関係、みんなそうなんだ。
私は今お前と話している。
でも本当に私はお前と話をしているのだろうか?
私はお前を知っていると思っている。
私の中にお前のイメージがある。
お前はこういうことを言うだろう、こういうことをするだろう、というイメージがある。
私はお前に対している。
それは今私の目の前にいるお前にではなく、私の頭の中のお前のような気がするのだ。
だってお前はすぐそこにいるのに、とても遠い存在に思える時があるからだ…
私のお前への思いが強ければ強いほど、距離がどんどん生じていく──

僕は僕でここにいる。
君は君でそこにいる。
これは事実だろう? まず、なけりゃ、こんなフキダシのケムリも立たない。
だが僕の中にいる君、君の中にいる僕も、ある。
それは目の前にいて、こうして関係している君と僕とは違う、ということかい…

そういうこと。
私たちは一体誰と関係していることになるだろう?
だから相手に「わかってもらおう」としたり、「私はこうだよ」と相手に自分を訴えたりする…
恋は、その最たるものだ。
その原動力は、「君が好き」。推進力は、その「好き」というわけのわからないエネルギーだ。
そして「わかってもらった」ところで、どうなるものでもない…

いや、つきあいが始まるだろう?

誰とつきあうことになるのだろう?
ずっと、「私」の中の「君」であるかもしれない…
君はそこにいるのに!
私は、そこにいる君とはつきあっていないのかもしれない…