襟裳岬

── 先日、ある人から言われたね。
「かめさん、もっとおっきくなれる人だと思いますよ。大きなものを見ていて、逆に小さくなってるんじゃないですか。まわりのことは気にしないで、枠を取っぱらって、もっとマイペースで自分の好きなことだけをやっていいんじゃないですか」

── うん。整体師に言われたな。
いや私は自分では現実的だと思っているんだが、今まで交流のあった二、三の人から「非現実的だ」と言われたことがあった。
現実、「見ているもの」とは、つまりそういうことなんだが。

この夏、youtubeでアニメ「寄生獣・セイの格率」を見たんだ。そこでミギーが「シンイチ、お前には私の姿はどんなふうに映ってる?」と訊く場面がある。
シンイチがその姿をイメージの映像に映し出すと、「へえ、こんなふうに見えているのか」とミギーは驚く。
そしてミギーに見えるシンイチの姿も、シンイチには想像もつかない、すごい姿をしていることを示唆する…

── 同様に、整体師から見れば、お前は「こういう人間だ」とするイメージがあるだろう。
こうも言われたな。…「電子書籍を出すとか、書いたものをどんどん開店していけばいいのに。かめさん、閉店しよう閉店しようとしてますよ。自己承認願望は許して、認めてあげましょう。お金だって、とても便利なものだと思いますよ。かめさん、どんどんカネ稼ぎして、お風呂の中で札束まみれになって、葉巻でもふかせて下さい、そんなかめさんでも全然イイと思いますよ」

── いろいろおしゃべりしたな、施術中に。
でも結局お前はネットでずっと書いてきたんだよな。お金稼ぎもいいね集めも、まるで嫌悪するようにして…。

社会への発信、アメリカではブログの投稿から社会的な変革のようなことも起こった、という話も何かの本で読んで。

無料で自由に誰にでも書ける、そうして発信し合い、社会がいい方向へ行けばいい… そんな夢のような目的をもって、お前はブログを始めた…

── だんだんお前自身も変わっていったよな。
「社会」に、人様に向けて書いていた姿勢が、どんどん内向的になって。書く内容も「わかる人にだけわかればいい」になって。

── 内向すれば、そこは深そうな穴もあって、そりゃ暗いものになる。
天に向かう「明」よりも、深淵みたいな、土中だか深海だか、そんな「暗」へ入って行った気分がした。
だから無限に書ける気がしたし、今もそんなふうに書いてるんだと思う。

── まぁお前がそれで良ければいいんだよ。
ただ整体師が言おうとしていたのは、お前が人生さえも閉店したがってるから、おカネや自己顕示欲、承認要求を悪としないで、もっと生を謳歌して楽しんで下さい、そうしてほしいです、ということだったんだろう。

── 生きてることが辛いのは、お前にとって自明の理となってるからな。死は、そんな悪いもんじゃない── どころか、安楽、慰安だと思っている…。
でもそんなシリアスな、憂鬱な話をしていたわけじゃない。ふたりで笑って、楽しく、いろんな話をしていたよ。
施術が終わって、「ああ楽しかった」と整体師が言うから、こっちも笑ってしまった。

── で、身体の方は良くなったのかい?

── 一進一退だね。大体いつもその繰り返しだ。
でも悪い方には行っていないと思う。徐々に徐々に… 変わっていくんだ。

すごい効く薬みたいに、さっさと治るとは思っていないよ。怖いだろ、そんな薬なんて。
ゆっくりゆっくり、一ヵ月ぐらい様子を見るよ。自分の身体の「自然治癒力」が、この中でどうやって行くのか…

── ところでこの「襟裳岬」はいい歌だね。
やさしい、あたたかい気持ちになれる。
初めてカラオケで歌った曲だろ? 15歳の時、バイト先の店長や大学生の先輩の前で。
公共の場、知らない人達の前で歌ったのは20歳の頃で、あれは「なごり雪」だったけど。

── もう夏も終わる。そしたらまた冬だ。
季節も人も、物も、物でないものも、まわる、まわる…