きわめて個人的なことである。
それでいて、他人を巻き添えにする、厄介な恋情。厄介? そんな災厄でもないはずなのだが…
淋しいから好きになる。
暇だから好きになる。
綺麗な人だから好きになる。
私の場合、三番目の理由から好きになった。
リサイクル物品の選別作業。ベルトコンベアに乗って、様々なゴミが流れてくる、それをただ分けるだけの、単純作業。
汚れの残っているトレイ、ラベルが貼られたままのペットボトル。
ベテランの人達は世間話をしながら、機械のように手だけを動かし、口は口で別の生き物として動いている。
ひとり… みんなマスクを付けているので、彼女の顔の全容は分からなかったが… 綺麗な眼をした女がいた。
強く惹きつけられる、魅惑的な眼だったのだ。
私は、一瞬で好きになってしまった! 眉毛も凛々しく、理知的で、エプロン越しの、胸のふくらみが悩ましかった。
髪は自然とカールがかっていて、細く、心持ち茶色く、優しげだった。
彼女の持ち場は私の左隣りで、心地良い香水の匂いも漂ってきた。
ああ、猫のように素敵なひとだ。ただ、残念なのは、よく喋ることだけだった。
いや、彼女が喋らなかったら、私が喋らなければならないだろう。
ああ、黙々と、ただ仕事だけをすることができない! なぜ喋らなければならないのだろう。
黙ったままでは、どうしていけないのだろう。
技巧。虚構。とりつくろい。
間をもたせるだけの、どうでもいい話。
みんな、さも関心があるふりをして、からっぽの話ばかりする職場の連中。
こんな関係を、人間関係と呼ぶ奴がいたら、馬鹿だと思う。
とにかく彼女が喋るのを、私はよく聞く態度を装った。しかし、たまには私も意見を言った。でないと、彼女も話す甲斐がないだろうと思ったからだ。
綺麗なひとよ、喋らないでくれ。そのままで、あなたは充分ではないか。喋らないでくれ、喋らないでくれ。
だが、彼女は喋るのだ、その喋りの内容が思い出せないほどに。
ずっと、私は耐えて聞いていた。彼女がいなくなったら、淋しくなるだろう。
女らしい、朗らかな丸い声。この音も、聞けなくなったら淋しくなるだろう。
そう思うと、この無駄なお喋りが、愛おしいものにも思えてきた… 実のところ、私はただ、この女を抱きたいだけだったのだが。
ある日、やはり私は、ずっと彼女の話を聞いていた。風邪気味で、頭が少し痛かった。この耳に、彼女の声がじんじん効いてきた。
昼食休憩が終わり、再び作業に入ると、いよいよ耐えられなくなってしまった。もう、我慢できない。言ってやる。言ってやるんだ、私が言ってやるんだ…
「愛子さん」私はマスク越しに、彼女を直視して言った。
「あなたが好きです。初めて会った時から、好きでした」
彼女は、びくんとした。汚れたトレイが私に流れてきた。彼女の手が、止まったのだ。
2、3秒後、再び前を向き、彼女は作業を始めた。それから、終業時間まで、われわれはずっと無言だった。
翌朝の始業前、彼女は私に近づくと、囁くように言った。「わたしもあなたが好きです」
われわれは恋人どうしになり、とんとん拍子で一緒に暮らし始めた。
就業時間のみならず、朝起きて、夜寝るまで、彼女の声が私から離れることはない。
彼女の肉体を手に入れた代償だと、私は考え、耐え続けた。
だが、時々、頭の左側がひどく痛くなる。1日8時間、私の左隣りから、彼女の声が聞こえ続けているせいなのだ。
そして私の頭が、痛みの限界を迎えると、彼女に向かって、全身全霊を賭けて、こう言ってやるのだ、「愛してる。」
すると、彼女はしばらく無口になり、私も頭痛が軽くなる。彼女は満足げに微笑み、私も微笑む。
家でも、同じことの繰り返しだ。
つまり、「愛してる」と、朝昼晩、1日3回、私は頓服するようにこの言葉を飲み込み、彼女に向けて吐き出すのだ。
「わたしも」と、時々返されるが、そんなことは言われたくない。私は、自分の罪を償うために、同時に、また罪をつくるために言っているのだ。
誰でもない、私が私を救い、私が私に救われるように、今日も言うのだ、愛してる。愛してる、愛してる…