人間世篇(十二)

 籧伯玉きょはくぎょうは、続けて言う。

「君は、あの蟷螂カマキリというものを知っているかね。車が通りかかると、そのひじを怒らせて、その車輪を目がけて立ち向かおうとする。

 これは自分の能力を越えていることを知らないものであり、自分の才能がすぐれていることを過信するものである。

 用心し、慎まなければならない。自分のすぐれた才能を頼みにし、これを自慢して他人をあなどるようなことは、危険きわまることである。

 君はまた、あの虎を飼っている人間を知っているだろう。彼は虎に生きた物を与えることを避けるが、それは虎がこれを殺すはずみに、怒りを発するのを恐れるためである。

 また虎に、姿そのままの物を与えることがないのは、虎がこれを引き裂く時に、怒りを発することを恐れるためである。

 彼は虎の空腹と満腹の時をうまく調節して、虎の怒りの感情が累積しないように導いてゆくのである。

 虎は人間と種類の異なった動物であるが、それでも自分を養ってくれる者に好かれようとするのは、これを飼う人間が虎の自然の性質に従うからである。

 だから、虎が人間を殺すことがあるのは、人間がその自然の性質に逆らうためである。

 また馬を可愛がる者は、小箱の中に糞を入れ、大蛤おおはまぐりの器に小便を取るというように、大切にする。

 ところが、たまたま蚊やアブが馬の体にとまるのを見て、不意にこれをたたくようなことをすると、馬は驚いてくつわを引きちぎり、首を折り、胸を打ち砕く、といった始末になる。

 このように愛情は十分にありながら、しかも愛するものを失うこともある。注意すべきことではないか」

 ── どうもあまり響いて来ない。森さんの解説を読めば、「全体として格調の高い『荘子』の内篇にあって、この数節は、いかにも不協和音の響きがある」という。

 君主に仕える場合(労働現場で上司に従うような場合?)、いかに自分の保身をするかという、保身術を説いているようでもある。

 謙虚に、ただ言われることをハイハイ聞いていればいい、というほど、甘いものでも… いや、それでいいのかな、現実は。いや、よくない。いや、どうしようもない。

 ここ最近の荘子はツマランナ。