籧伯玉は、続けて言う。
「君は、あの蟷螂というものを知っているかね。車が通りかかると、そのひじを怒らせて、その車輪を目がけて立ち向かおうとする。
これは自分の能力を越えていることを知らないものであり、自分の才能がすぐれていることを過信するものである。
用心し、慎まなければならない。自分のすぐれた才能を頼みにし、これを自慢して他人をあなどるようなことは、危険きわまることである。
君はまた、あの虎を飼っている人間を知っているだろう。彼は虎に生きた物を与えることを避けるが、それは虎がこれを殺すはずみに、怒りを発するのを恐れるためである。
また虎に、姿そのままの物を与えることがないのは、虎がこれを引き裂く時に、怒りを発することを恐れるためである。
彼は虎の空腹と満腹の時をうまく調節して、虎の怒りの感情が累積しないように導いてゆくのである。
虎は人間と種類の異なった動物であるが、それでも自分を養ってくれる者に好かれようとするのは、これを飼う人間が虎の自然の性質に従うからである。
だから、虎が人間を殺すことがあるのは、人間がその自然の性質に逆らうためである。
また馬を可愛がる者は、小箱の中に糞を入れ、大蛤の器に小便を取るというように、大切にする。
ところが、たまたま蚊や虻が馬の体にとまるのを見て、不意にこれをたたくようなことをすると、馬は驚いて轡を引きちぎり、首を折り、胸を打ち砕く、といった始末になる。
このように愛情は十分にありながら、しかも愛するものを失うこともある。注意すべきことではないか」
── どうもあまり響いて来ない。森さんの解説を読めば、「全体として格調の高い『荘子』の内篇にあって、この数節は、いかにも不協和音の響きがある」という。
君主に仕える場合(労働現場で上司に従うような場合?)、いかに自分の保身をするかという、保身術を説いているようでもある。
謙虚に、ただ言われることをハイハイ聞いていればいい、というほど、甘いものでも… いや、それでいいのかな、現実は。いや、よくない。いや、どうしようもない。
ここ最近の荘子はツマランナ。