大工の親方の匠石が、斉の国に旅をして、曲轅という土地に着いた。
そこで櫟社という社の神木になっている櫟の大木を見た。
その大きさは牛の群れを覆い隠すほどであり、その幹の周囲は百抱えもあり、その高さは山を見下ろし、地上から十仭もあるところから、初めて枝を出している。
その枝も、舟をつくれるほど大きいものが、幾十となくある。見物人が群がり、まるで市場のような、にぎやかさであった。
ところが匠石は、この大木には目もくれず、足も止めないで、さっさと行きすぎようとした。
その弟子は心ゆくまで大木に見とれていたが、あわてて走り、匠石に追いついて、言った。
「私が斧を手にして師匠のおともをしてから、このような立派な木を見たことがありません。それなのに師匠は振り向きもなさらず、さっさと行きすぎて足を止めようとされないのは、どうしたわけでしょうか」
すると、師匠は答えた。
「くだらないことを言うな。あれはまったく役に立たない木だ。あれで舟をつくれば沈むし、棺桶をつくればすぐ腐り、道具をつくればすぐ壊れてしまう。
門や戸にすれば樹脂が流れ出るし、柱にすれば虫が食うという始末で、まったくとりえのない木だ。使い道がないからこそ、あのように長寿が保てたのだよ」
── こういう、おとぎ話風な、昔話、童話? 絵本… 情景が短い言葉で表わされている物語、好きである。大工とその弟子が旅の道すがら、見物客でにぎわう場所を通り、恐ろしいほどの大木がぽっかり、人々や大地を見下ろしている絵が目に浮かぶ。
森さんによれば、「荘子の処世の道は、この十三節以降の話にみられる『無用の人間』になることではなかったか」という…
無用の人間。
… いいなあ!