人間世篇(十三)

 大工の親方の匠石しょうせきが、せいの国に旅をして、曲轅きょくえんという土地に着いた。

 そこで櫟社れきしゃというやしろの神木になっているくぬぎの大木を見た。

 その大きさは牛の群れを覆い隠すほどであり、その幹の周囲は百抱えもあり、その高さは山を見下ろし、地上から十じんもあるところから、初めて枝を出している。

 その枝も、舟をつくれるほど大きいものが、幾十となくある。見物人が群がり、まるで市場のような、にぎやかさであった。

 ところが匠石は、この大木には目もくれず、足も止めないで、さっさと行きすぎようとした。

 その弟子は心ゆくまで大木に見とれていたが、あわてて走り、匠石に追いついて、言った。

「私がおのを手にして師匠のおともをしてから、このような立派な木を見たことがありません。それなのに師匠は振り向きもなさらず、さっさと行きすぎて足を止めようとされないのは、どうしたわけでしょうか」

 すると、師匠は答えた。

「くだらないことを言うな。あれはまったく役に立たない木だ。あれで舟をつくれば沈むし、棺桶かんおけをつくればすぐ腐り、道具をつくればすぐ壊れてしまう。

 門や戸にすれば樹脂やにが流れ出るし、柱にすれば虫が食うという始末で、まったくとりえのない木だ。使い道がないからこそ、あのように長寿が保てたのだよ」

 ── こういう、おとぎ話風な、昔話、童話? 絵本… 情景が短い言葉で表わされている物語、好きである。大工とその弟子が旅の道すがら、見物客でにぎわう場所を通り、恐ろしいほどの大木がぽっかり、人々や大地を見下ろしている絵が目に浮かぶ。

 森さんによれば、「荘子の処世の道は、この十三節以降の話にみられる『無用の人間』になることではなかったか」という…

 無用の人間

 … いいなあ!