(10)不倫について

 今も、不倫といえば不倫の関係を続けているということになる。
 私の一緒に暮らしている人は、カナダの男の人と結婚なさっているからだ。(しかし、不倫! なんと大仰な名称だろう! 倫理にあらずとは、さぞご立派な倫理氏も戸惑っていることだろう)

 だが、これには事情があって、カナダでは離婚の際には、弁護士を立てねばならぬ法的な決まりがあるそうで、それをするのがただ面倒なだけであるということらしい。
 べつにイガミ合ってそうなったわけでもなさそうので、私はそれが何よりだと思っている。
 旦那さんとはたまにメールをやりとりしているみたいだし、仲が悪くないということが、どんなことより大事だと思う。

 私は私で前妻とやはりたまにメールし合っているし、今一緒に暮らしている人ももちろん公認している。
 前妻も再婚しているから、その旦那さんから見れば、前夫である私との関係が今も続いているということは、あまり心地良いものではないかもしれない。
 いや、実際イヤであるらしい。だから前妻も気を遣って、旦那さんのいない時に、年に数回、メールをくれて、私も返信したりする。

 一般に、別れた男女はもうホントウに別れてしまうことが多いらしい。
 だが、ホントウに別れなくてもいいではないか、というのが私の意見だ。
 愛し合え、まして一緒に暮らせる人など、そうそうザラにいないものである。

 たとえ別れて、べつの人を好きになったとしても、それまで愛し合い、一緒に生きたことまで消してしまうことはない。
 それが必要であれば、消さなければならないだろうが、必要でなければ、何も完全に縁を切ることもないと思う。むしろ、嫉妬とか、憎む心とか、自分の中に蠢くものがあるとしたら、それをこそdeleteしたいと思う。

 恋愛は、どこまでも個人の問題で、常識とか一般とか、そんなものはたいした問題ではない。
 なぜ自分はあの人を愛したのか、そして別れることになったのか、そのことの方が、はるかに大切な問題である。
 そこに一般常識を持ち込むのは、自分に対する体のいいごまかしだと思う。
 世間を基準に、ホントウに愛し合えなんかしないのだ。

 ところで、不倫。私が初めてラブホテルに行ったのは、夫も子もある奥様とで、確かに私たちは愛し合っていたのだと思う。
 だが私、ひとりの人間としては、彼女をほんとうに愛していたかと自問すれば、疑わしい。
 あれは二十歳の頃で、私はまだセックスというものを知らなかった。それに対する興味があったことは否めない。
 また、恋に恋していたふしもあって、つまり自分のことしか考えていなかったように思える。
 相手のことを真っ直ぐに、ちゃんと見ていなかったと言える。

 確かにおたがいに好きになり、愛し合った関係であったとは思うが、自分が、ホントウに愛していたかと自分に問えば、ホントウに愛してはいなかったように思えるのだ。
 あれは、そういう時期だったのだと今は自分を慰めている。
 何かに対して、情けない自己弁護をしている、というのが正確だろう。

 私が今一緒に暮らしている人がウワキ、つまり他の人を好きになっても、それで彼女がイキイキと生きてくれるなら、喜ばしいことだと思う。
 自分に足りないものがあるから、他の人に走るのであって、自分のせいだと私は自己完結し、しかし、何やらガンバロウという気持ちになるだろう。
 一生懸命、彼女を愛そうとしてしまうかもしれない。

 好きなように生きること。そして生き生きと生きること、これが人に対し、私に対し、求めたいところのぜんぶである。
 だが、これがもっとも難しいことを、いくら頭のよわい私でも、若い不倫経験を通してどうやら知った気になっているらしいのだ。
 だが、もう倫理も不倫も、そんなことにいちいち目くじらを立てる時代は終わり、何でもアリな時代なのではないかとも、プラトニックな風の流れから感じている。