(9)愛のこと

 出逢って、恋し合い、愛し合い、その流れには不自然な気配は全く感じられない。
 いとも自然に、ただその流れに乗って、ふたりで小舟を出すようなものだ。
 だが、別れ。これには、ひどいパワーを要するのは、それが自然でないからだと思われる。

 ということは、ヒトは本来、恋し、愛し合うことが自然である生き物だと言える。
 憎み合い、傷つけ合い、はては殺し合うなど、自然がヒトの生きる道であるとしたら、そんなものは全く道に反することになる。

 人間、という大局的なところから物を言えば、何とでも言える。
 言えなくなるのは、自分、という局地的なところからものを見た時だ。
 人類愛、人種差別反対、平和第一を唱える人が、最も近くにいる隣人にひどく冷たく当たることがあるように、自分を棚に上げればキレイゴトなど簡単に言える。

 こと恋愛に関しては、相手と一対一の「ふたりの世界」である。
 これはヒトとヒトの関係において、もっとも理想的な数であり形態であるから、おたがいに鏡のように見つめ合い、そこに浮かび上がる自分自身のホントウの姿を知る絶好の機会となるだろう。

 ところで、ふと不安になるのは「ホントウに愛する」ということに、現代のヒトはどれだけ興味があり、関心があるかということだ。
 空気の振動のようなものから私が感じるのは、「そんなのどうだっていい」「好きな相手とうまく行けば、それでよい」「何も考えるほどのことではない」という無言の声だ。

 私の若い友人にも、「恋愛には興味ないですね」という意見がある。
 以前勤めていた職場には、「わたし、あの人が大好きなんです」と公然と声明を発表し、そのアタックをし続ける女の子もいた。
 好意の矢を放たれ続ける当の彼氏にはその気はなく、かなり困っている様子だった。
 無情、非情な、彼女の一方的な愛の攻撃にも思えたが、おそらくそれも「ホントウの愛」の表現だったと思われる。

 まったく、「自分があの人を愛しているのだ」と思えば、それが即ちホントウの愛になるのだとは思う。
 かく云う私も二年前、夫を持つ婦人からそのような告白を受けたことはある。
 だが、それは私にはホントウの愛だとは思えなかった。彼女にとってはホントウの愛だったとしてもである。

 ところで、愛の定義をしていなかった。一体、何をして「愛」と呼ぶのか。茫漠とした言葉である。
 植物を愛する、動物を愛する、特定の人を愛する。いずれも愛である。
 愛には、とにかく対象が必要なのだ。そしてその対象を愛すると、愛した本人がその対象に似てくるという現象が起こる。

 植物を愛する人は、気が長くなる。短気では、植物を育てられないからだ。
 動物を愛する人は、その動物に似てくる。猫を飼っていた私は、その猫の性格に似てきたし、私の父など、飼っていた犬に顔まで似てきてしまった。
 現在私には一緒に暮らす女の人がいるが、十年を経て、どうも彼女に性格が似てきてしまった一面もある。

「死」というものが、万人の避けられない、絶対的な絶対であるから、そこにホントウの愛がある、というのは分かり易い道理だ。
 だが、愛するということ自体、その対象に自分を失っていくことになるとしたら、これも一つの死なのである。

 そしてホントウに愛するというのは、狂気にも通じることなのだ。
 宗教の狂信者のようになって、自分を失くしてしまう。
 その相手をホントウに好きになればなるほど、その好きになった主体である自己が相手に奪われていく。

 奪われた自分を取り戻そうとして、帰る場所を失くした自己は、まるで失くした自己が相手の中にあるかのように、その相手にいっそうノメリ込んで行く。

 相手には、何の責任もない。
 ただ、その相手を好きになり、ホントウに好きになってしまった時、本人が苦しんでいるだけなのだ。

 死における絶対性、死をもってホントウとするところの真実味のある愛は、その死が自己の外からやって来る限りにおいて、そこまで狂えることはない。
 少なくとも私は狂えなかった。しかし、自己の内部から、相手をホントウに愛する、愛した気になって、そこから一直線に脇目も振らず相手に向かうことには、ひとりよがりの狂気の落とし穴が口を開けて待っているように思える。

 そこまで人を好きになる、ということが、だんだんヒト自体になくなっているような空気を感じるのは、町を歩いたり、ネットで何かいろんな記事とすれ違う時、漠然と感得するところのものだ。
 精密には分からないが、イイもワルイもなく、そういう時代、時期なんだろうなと思う。

 そう思うのは、私自身が淋しいからだろうか。
 どんどんとりとめのないことに、とりとめのない頭が持って行かれそうだから、こういう場合、自分の恋愛体験から知った、私自身の話を書くのがいいのだろう。
 そう、「不倫」…これもよく分からない、実体のないものだった。チャンと書けるか、自信はない。