「恋愛の初期の期間は不思議な時間が流れる」という意味のことをキルケゴールは言い、「恋愛はチャンスではない。意思だと思う」と太宰は言った。
誰かを恋慕する、誰かを好きになる、「愛している」熱気に自分が焼かれる思いのする時、自分はその相手に身も心も奪われないではいられない。
自分を失うことが「狂っている」ことになるとしたら、自分を相手に根こそぎ奪われ、持って行かれている情態は、狂気の沙汰と呼べるかもしれない。
ただ、特定の相手に対してのみ発動する熱狂だから、ほかの人たちはその対象にならない。
で、万人から「狂っている」と認可されることはない。「誰にも気づかれないで狂っている」と言えるかもしれない。
それが相手と共有されると、もうこの世の春である。気持ちは、ほんとうに大きい。
くすんで見えていた電柱や道路までが輝いて見える。相手と自分が、同じ気持ちになっている! 孤独から開放され、たったひとりの相手が、自分のすべてのようにさえ思う。このような時期は、確かに不思議すぎる時間が流れている。
「ほんとうに自分はあの人を愛している」そんな気持ちになったのは、自分の場合、15歳の頃と、23歳の時、このふたつの時期だった。
そのほかにも、いろんな人と好きになり合ったりしたけれど、「ほんとうに」と言えるのは、あのふたりだけだった、と言ってしまえると思う。(今一緒に暮らしているひとは、まだ過去になっていないので、除外させて頂く)
自分のその時の恋愛事情を書けば、15歳の時は、よく死にたいと考えていた。そこに偶然、死にたいというひとが現れ、「このひとと一緒に生きて行きたい」と思った、それが初恋であり、初めての恋人だった。初めて、ひとを「ほんとうに愛した」。
その自分自身をよく顧みれば、死にたい自分を救いたかった思いが根柢にあったと思う。
で、彼女を死なせてはいけない、死んでほしくない、と、自分を彼女に投影したのだと思う。
23歳の時は、逆だった。やはり自分は死にたいと思っていたが、「そんなこと思ったこともない」というひとを好きになった。
ぼくには、子ども時分に家族に迷惑をかけた意識が強く、彼女もぼくと似たような自分を抱え、まわりに迷惑をかけた意識があったろう、だから自殺を考えたことがあるだろう、と勝手に想像していたのだが、全然違う返答だった。
これには、心底驚いた。こいつ、人間か? と思ったほどだ。そして「私には私の幸せがある。親の願う幸せとは違う、っていうことを、親に分からせたかった。だから、戦ってきた」というようなことを言うのだった。
ぼくは、やはり心底から感銘を受けて聞いていた。すごい、ひとだと思った。
で、ほかの友達と一緒に遊ぶうちに、ふたりでデートすることが多くなり、ぼくは彼女に、彼女はぼくに、まったく自然な感じで惹かれ合い、好意を感じ合うようになった。
で、「一緒に暮らそうか」ということになり、おたがいにとって最初の結婚に至ったのだった。
あの時、ふたりには「実家を出たい」という思いで一致していたことも、一緒に暮らす状況へぼくらを持って行った、小さくない要因だったと思う。
それより何より、「なかなかこういう人間はいない」と、おたがいに認め合っていたようなフシが大きいと思われる。
この、自分のふたつの「ほんとうにひとを愛した」と言える時期に共通するのは、「現在の自分の置かれた情況」がまずあって、その情況に対処したい、ひとりではできないけれど、対処に向かえる同胞、一緒に立ち向かえる、手と手をとりあって一緒に前へ向かって行けるひと、そういうひとを、ほんとうに愛せたように思う。
自分に欠くべからざる存在、必要不可欠な存在、とでも言えるだろう。
偶然の出逢いによって生まれた交際。そこには、相手と自分が一致する、似たような交点があった。そこから弾んで、跳んで行けるジャンプ台があった。
つまりぼくにとっては、ほんとうに愛すること=ほんとうに生きること、と直結する、臍帯のようなものが、このふたりの恋人との間に、一緒に過ごした時間に確在していた、と自信をもって言える。あくまでもこれは、どうしても「ほんとう」でなければならなかった。