むかし、…20歳過ぎくらいの頃、好きなひとにフラレると、ぼくはかなりマイっていた。
それこそ、仕事に支障が来たすほどだった。
当時ぼくは、交通量調査とか、予備校だとか塾だとかでアルバイトを一生懸命やっていた。なぜなら、稼いだバイト代で、好きな女の子と、一緒にまたお酒飲んだりカラオケしたり、したかったから。
何回か、ぼくらは新宿のコマ劇場近くにあった「デカメロン」という小さな、雑居ビルの2階にある西洋風居酒屋で、ふたりでサングリア(ワインに、小さく切ったレモン、氷もたくさん入っていた、それが大きな花瓶のようなガラス瓶に入って、ドン!とテーブルに置かれた)を飲んだはずだった。
あれは美味しかった。ついでに、「パエリャ」とかいう食べ物も、美味しかった。スペイン風の居酒屋だったのだ。
彼女は、実家から沢山「梨」が送られてきたので、おすそわけ、という感じで、ぼくの実家にも一度遊びに来た。ぼくの部屋で、ふたりで何を話したか忘れてしまったが、けっこう、仲良しだったと思う。
ふたりでカラオケに行った時、ユーミンの「守ってあげたい」を歌って、とリクエストされた。ぼくは当時あまりユーミンを歌いたくなかったので、以前に友達から「プロが歌ってるみたい、ほんとに上手いですよ」といわれた、細川たかしの「心のこり」を歌ったのだった。
彼女は不服そうであった。
それが原因でもなかろうが、ぼくらは恋人どうしにはなれなかった。そしてある夜、やはりその「デカメロン」で、彼女から、「わたしのこと、好きなんでしょ」と、図星を突くように言われてしまった。ぼくは、うなずいた。「でも、彼氏、いるんだ」と、彼女は事実をぼくに告げた。
あ、そうなんだ、とぼくは笑ったと思う。力が抜けたような気がした。なんとなく、自分の身が軽くなった感じがした。それから何か、空虚さが、体内だか胸の中だかに、出来上がった。ポッカリ、自分のなかに、確固としたドーナツ状の空洞ができた。
ぼくのショックは彼女にも伝わったのだと思う。駅で、それぞれの家に帰るため別れる際、「大丈夫? 明日も、チャンと働くんだよ」と、彼女は励ましてくれた。
やはりぼくはうなずいたが、翌日、ぼくは仕事を休んだと思う。ちょっと、彼女にフラレちゃいまして、とか、バイト先に電話をかけたような気もするが、定かでない。
「人間は精神である」と、ドイツの思想家が言っていたと思うが、とにかくぼくは、非常に弱い精神によって、在るのであった。
精神、としかいいようがないのだが、この精神というのは、いきなり強くなれるはずもない。そんな、人間、簡単に変わってはイケナイとさえ思う。(しかし、そもそも単純に考えて、好きな女にフラレて、ショックを受けないほうが、おかしいとも思う。)
その後も、いろいろ恋愛したし失恋もした。そして、こういう精神、つまり自分自身に、以前より、慣れることは、これでもできている様子である。ながいき、してみるものである(?)。
だが、やはりフラレるというのは、相当な衝撃である。自分の思う通りにならなかった、というだけの話といえば、話なのだが。ほとんど駄々っ子の世界である。
で、いま思うのは、あまり、好きとか愛してるとか、それももちろん、全くイイけれども、基本的には「友達でいたい。」
もっといえば、たがいに、ただ、だいじに、できあえる関係。それがいい。ワカレも、フッたフラレたもない。
しかし、友達、だけでは物足りないな、考えてみれば、言葉として。友達以上、恋人未満…未満でも、足りないナ。
要は、大切に、つきあえる関係が、いいんだナ、おたがいに。
友達でもなく恋人でもなく。