ところで、なぜ私の恋人は、私の恋人であるのだろう?
彼女は、態度で表わす。行動で表わす。その愛情らしきものは、けっして言葉によって表わされない。だから、最も説得力を持ってる。
対して私は、あやふやである。言葉では、よく表現しているつもりだ。「好きだよ」はたまに言い、1日に1回は「可愛いねえ!素敵だねえ!」と白痴のように言っている。
たまに、その頬へ、私の頬をすりすりして、「マーキング」をする。どこか、スレ違っている気がしないでもない。
「女と男は、永遠に理解し合えないんじゃないかしら」
これは、ある美術館で私が労働らしきことをしていた時、80を越えた老画家がしみじみ言った言葉だ。
90に近い、私の最も年長の友達は、奥様の言うことに「それは違う!」と、内心でとても異を唱えたいのに、どうも我慢している様子がうかがえる。
妻に先立たれた夫が、ほどなく、後を追うように自然に死んでしまうことが多いのは、気のせいだろうか。夫が死んだ後も、妻はしっかり長く生きているように見えるのは…。
男は弱い。
そういえば、男が女に、一方的に抱きしめられている光景を、巷であまり見たことがない。たいてい、男が女を抱きしめている。
女は、男に守られるもの。男は、女を守るもの…だからだろうか。もし、まだそんな古い価値観があるとしたら、とっとと撤廃した方がいい。
へたなプライドは、寿命を縮める。
男は、装着した借り物の鎧、妙なプライドを捨てて、女にもっと、すなおな気持ちで抱きしめられてもいいだろう。
あまり、そんなふうに抱きしめられたことがない。