椎名麟三のこと(1)

 彼は、自殺を何度も試みた。 縊死だ。
 借家の梁に、勤めていた工場から盗んだ荒縄を掛け、首に巻き、ぶら下がろうとした。
 足を、上がりかまちから離せば、「正月に、魚屋の店先に鮭がぶら下がっているように」死ねるはずだった。

 だが、片足を宙に浮かべ、もう片方の足を、床から離そうとすると、その足は「とりもちがくっついたように」はがれなくなるのだった。
 その時、彼の身体は、「情けないことに、必ず便意を催した」。
 そして、世にもみじめな気持ちになりながら、便所に行くのだった。

 もちろん、その彼の自殺への意志には、根拠があった。
 共産党員だった彼は、「アカ狩り」と呼ばれる検挙にあった。
 未決のまま拘置所を「犬のように」放り出され、その後のシャバでの生活の中でも、特高の監視下に常に置かれていた。

 仕事は、与えられたが、きわめて悲惨な、過酷な労働であった。
(当時の国家権力、警察は、共産党員を殺そうとしていたとさえ思える。手塚治虫の「アドルフに告ぐ」にも、このことは顕著に描かれている)

 肉体も、死に瀕していたが、精神も同様だった。
 獄中で、「隠さず、仲間の名前を吐け」という拷問にあっている時、彼は「もう吐いてしまおう」という気に、一瞬、なったのだ。
 あと一撃くらったら、ほんとうに死んでしまう、と感じた、その瞬間に。

 その衝動は、彼にとって、恐ろしい衝撃だった。
 人間を愛し、同志を愛し、そのために行動し、生きていたはずだのに、あと一撃で自分が死ぬかもしれないと感じた刹那、彼らを愛していない自分に直面したからだ。

 彼の、幼年、少年時代も、厳しく貧しい環境であった。
 母は何度も自殺未遂をし、父は浮気したまま帰ってこない。
 結局「家出少年」となり、八百屋で丁稚奉公し、洋食屋でコックの見習いなどをしながら、「順調に不良少年の道をたどった」。

 だが、彼には常に、その時々の情況下において、「客観する自己」をもっていた。
 その自己があるがために、彼は自殺ができず、また完全な不良少年にもなり得なかったのだ。
 自殺に関しては、「この身体は常に自分に反逆していた」。
 それ故に、彼は椎名麟三という作家になり得たと思う。

 だが、その「書く」という行為も、まるで自分を苦しめるために書くようなものだった。
 のちに、この作家は、クリスチャンになった。
「仏教でも、何でもよかった」という。
 椎名麟三に必要だったのは、ユーモアだった。
 自己と、自己以外との間に、「神」という、冗談のような存在が必要だったのだ。

「自分が生きている理由は、死ねないからだ」というのは、椎名麟三の本音であったと思われる。
 だが、そこには常に矛盾があった。
 死にたいのに生きている。
 生きたくないのに死ねない。
 生きることもできず、死ぬこともできない。

 矛盾、相剋をゆるめる、第三の場所が、自己の中になければならなかった。
 この第三の場所に、彼は生きようとし、実際に生きていたと思える。
 そして、書くことができたのだと思える。

「太宰の次に自殺するのは、椎名さんだろう」と噂されていたが、椎名さんはチャンと、最後まで生きた。