きみは「生きて行けない」という。
「みんなと同じになれない、みんなとうまくやれない」という。
で、きみはこの世で自分が生きて行けないと思った。
人間としての何かが、欠落していると思った。
つまり、人間失格の烙印を自分に押した。
よし!
人間になど、ならぬがいいよ。
脱落、けっこう。
堕落、落ちこぼれ、ますます、けっこう。
きみは、あんな烏合の衆の一員になってはいけない。
かれらは、飛べない鳥だ。
ひとりじゃ何もできない、奴隷の民、従属の虫だ。
かれらは言う、
「ここが絶対多数なのだ。多数は絶対なのだ。ここに入らないと、おまえは死ぬよ」
死人が言う、「ここに入らないで、どうやって生きてくの?」
そんな虚言に惑わされてはいけない。
かれらは、ひとりじゃ心細いだけなのだ。
挙句の果てに、かれらは言う、
「おまえも社会人だろう?」
社会人!
愚の骨頂、ここに極まれり!
かれらは、奴隷になりたがっているのだ。
きみは、そのような人間であってはならない。
「社会」などという名詞は、隷属しならねば生きられぬ、虚弱な人間が立てた貧弱惰弱なボロ切れの旗にすぎない。
胸を張って、そんな旗の下から脱落せよ!
個人意識が生まれたのは、ルネッサンス以降の近代であるという。
それまで、われわれは個我を持たなかった。
集団の中に、我は埋もれ、窒息していたのだ。
まわりを重んじることが強要され、集団に対する反発は「良心のやましさ」を伴った。
「やましい良心」が、個人意識の発祥だったのだ。
きみは、自分の道を行くことに、やましさを感じる必要は毛頭ない。
まことの創造者は、常に孤独だ。
時代が、きみに反発しているのだ、「多数が絶対だ」と言って!
きみよ、孤独であれ。
きみ自身を、友とせよ。
無自己、無思考な者と同化してはいけない。
残りの人生── 生まれた時から残りの人生なのだ── 自分の好きなことをせよ。
このために自分は死ねる、このために自分が死ねる、だから生きれる、ほんとうのことをせよ。
それはまわりにはない、自己の内にのみ在るものだ。
自己に回帰せよ!