大学にいた頃、フランス語の講師と親しくなって、長野の山のほうに遊んだことがある。
そこは精神障害者?だか、何らかの何かがあって、そういう人たちと一緒に味噌を作ったり畑仕事をする場所だった。
その講師が、仲間と共同経営していたのだ。
いたって小さな場所で、健常者(おこがましい言い方だ)も含めて5、6人で、リンゴもつくって、買う人もいて、発送作業などもチャンとしていた。
そのリンゴの収穫中、30歳位の人が、その頭の中に「野球」がひらめいたらしく、実況放送を口走りながら、地面に向かってヘッドスライディングを敢行した。
その時、「A君!」と、誰かが叱責した。
ぼくは、A君が、なぜ叱られなければならないのだろうと思った。
いや、叱責した人の気持ちは分かる。
だが、リンゴ農園が野球の球場になって、選手になりきっていたA君の気持ちも、分かる気がしたのだ。
また、東京都心の不登校児の場所で、ぼくはスタッフをやっていた。
15人ぐらいの子ども達がいただろうか。
皆で北海道に旅行した際、B君が皆から離れて、ひとり風呂場の脱衣所にひきこもり、体育館座りをしたまま動かなくなってしまった。
ぼくは、彼が、皆と一緒にいたくないのだと思った。
その彼に、ぼくは同感した。
そのままふたりで、一緒に座り込んでいた。
だが、ぼくはスタッフであり、その仕事として、皆のいる所に彼を戻さなければならない。
そんな義務感のためにしか、ぼくが彼と向き合えないでいることを、彼は知っているように、ぼくには思えた。
あっちへ行こう、と、彼を促しつづけるぼくに、彼は仕方なさそうに、やっと立ち上がってくれた。
だが、それでよかったとは、ぼくは心底からは思えなかった。
ずっとぼくは、待っていたかった。彼が自分から立ち上がってくれるまで、ずっと待っていたかった。
数年後ぼくは、「ひきこもっている人たちを、社会に出そう」というNPO団体のスタッフをしていた。
ひきこもっていて、何が悪いのか。
社会に出て、働いたからといって、それが何だというのか。
そんな見方をするぼくには、絶対に合わぬ場所だった。
これらの場所で、ぼくがしたかったことは何か。
歯の浮くような、くさい言葉でいえば、「寄り添い」たかったのだ。
だが、そういった場所は、子どもに「学校以外に、どこかに行ってほしい」「家にひきこもっていてほしくない」という親の要望があって、それに応えて成り立っている場所なのだった。
そしてその場所の中にも、当然「輪」のようなものがあった。
だから「皆と仲良くやる」そんな軌道に、乗ることのできない人がいた。
そのような人が、ぼくには「本当」のように思えて、どうにも、そのホントウさが気になって仕方なかった。
「普通と違う」というのは、ほんとうに、異常なのだろうか。
リンゴ農園でヘッドスライディングすることは、脱衣所にひきこもることは、異常なのだろうか。
そして「社会に出ない」ということは。
Aさんにしても、B君にしても、その肝心な「社会」に、ひどい、人非人のような迷惑をかけているとは思えない。
ぼくには、正常と異常、マトモとオカシサの、厳密な区分けができない。
できないのに、マトモと、そうではないものとを、判断する基準を持ってしまっている。
それがいつ、どこで、ぼくにできあがって、根づいたものなのか、分からない。
分からないから、自分に自信も持てなかった。
だが、
「いいではないか、分からなくて。
大切なのは、そう感じるおまえのその肉体、その眼、その足で、おまえ自身が歩いて行くことだよ」
そう云ってくれたニーチェと出逢えたのは、それから30年以上経ってからだ。
「合わせなくて、いいではないか、大衆になど!」
その根拠も、かれは明示してくれた。
だからといって、自信をもって我が道を行けるほどの強さを持てたわけではない。
ただ、ぼくに前を向かせる、強いバックボーンになっている。