いつのまにか、冬が来た。
つい、こないだ、春だ春だと浮かれ、その次は、夏だ夏だと大はしゃぎして、少し、涼しくなったなぁと思ったら、もう雪化粧。
一年は、早い。それは、虫も人間も、鳥も獣も同じこと。
時の流れの前には、ひとしく無力であるということ。
アリは、この季節のめぐりを知っていた。キリギリスは、知らなかった。
無知、有知、あらゆる生命に、個体差があるのも自明の理。
この「ありときりぎりす」を絵本で読んだ幼少時、私は何ともやりきれない、わだかまりを持った。
今も、モヤモヤしたままだ。
教訓的な絵本だったことだけは、子ども心にも分かった。
ただ、ショックだったのは、アリ達の薄情さだ。
「食べ物を、めぐんで下さい」と、惨めな姿で訪れたキリギリスを、「夏のあいだ働かず、バイオリンばかり弾いていたアンタが悪いんだ」と。これは、ひどい。
そしてキリギリスは、とぼとぼと雪の中を去って行く… 帽子もタキシードもぼろぼろで、触覚もうなだれて。
あの後ろ姿ばかりが、子ども心に残った。今思い出しても、うっすら、涙ぐむ。
地道な労働者こそが勝者だ、と、あの童話は訴えているように思える。
働かざるもの、食うべからず。堅実な努力への礼賛。アリへの讃美歌。
いかにも教義的すぎる本だ。要するに、「先のことを考えないとダメですよ、チャンと働きなさい。好きなことばかりしていると、あとでキリギリスのように悲惨な目に遭いますよ」と言っている。
私には、教訓ではなく、反発する心の芽を、植え付けてくれた絵本だったように思える。
親切なアリといえば、「もうすぐ冬が来るから、蓄えをしといた方がいいですよ」と忠告した一匹ぐらいで、あとは全然、文字通り、働くだけの、何の魅力もないアリだった。むしろキリギリスの方が、よほど生を、人生を、謳歌したのではないか。
そして、もしキリギリスが、冷たい北風に身震いしながらも、
「これがわたしの人生だったのです」
と言い、優しい一匹のアリが何か食べ物を恵もうとしても、
「お気持ちだけで、結構です。わたしは、自分のやりたいことをして、生きました。悔いはありません。アリさん、あなたらはあなたらの運命を生き、わたしはわたしの運命を生きただけのことです」
とでも言って、一緒に星空でも見つめるようなラストであったなら、この物語を私は大好きになったかもしれない。