平日の昼間の銭湯は、老人が多い。私も自分ではもう初老のつもりでいるけれど、親しい老人から「若いっていいなあ」などと言われる。年齢ほど、相対的なものはない。
会話が聞こえる。
「暑いなあ」
「うん、暑い」
「なんでこんな暑いんだろうなあ」
なんという会話でもないけれど、私には楽しく聞こえる。
「何でも忘れるようになっちゃったから、書くようにしたんだよ。書いときゃ、忘れないと思ってさ。でも、書いたことを忘れちゃうんだ」
「書いたこと忘れちゃうのかい」
そう言って大笑いするのが聞こえて、微笑んでしまう。
もちろん、意地の悪い老人もいる。脱衣場で、カゴを使おうとした私に、「ロッカーを使えよ」と言ってきた輩がいる。何個も余っていて、誰も使っていないカゴを、使うなと言うのは理不尽である。
「ぼくのリュック、大きいんで、それだけでロッカー、いっぱいになるんです」
と弁解(?)して、彼の訴えを退けた。
老人ではないけれど、湯船に浸かりながら、
「ああ気持ちいい、ああ気持ちいい」
そう言ってチラチラ私に視線を送ってくる人もいた。たぶん、誰かと話をしたかったのだと思う。なんだか面倒臭そうな感じの人だったので、私は眼をつむりながら微笑んだ。
40代後半だろうか、やたら挨拶をしてくる人もいる。私は知り合いでもないから、最初、誰に向かって言っているのか分からなかった。
「あのコ、ほんとになあ」と別の誰かが言っていた。「いつからオレ、友達になったんだろう、って。悪いコじゃないんだけどなあ」
最初に挙げた、意地の悪い老人は、もう見なくなった。
「ああ気持ちいい」の人も、いつのまにか消えた。やたら挨拶する人の姿も見ない。
人のことは言えないけれど、どこかヘンな人、まわりに何か不快に近いものを与える人は、私の通う銭湯では、自然淘汰されるように思う。
でも、障害者のような人たち(たぶん施設で、職員と一緒に来る)は、淘汰なんかされない。
常連が偉そうに幅を利かせる銭湯もあるけれど、ここはそうではない。
「ここの主人はガンコなんだ」と、何十年も通っている老人が教えてくれた。きっと、常連だからって、他の客に何か迷惑を掛ける者は許せないとするような、何か強固なものを持っているような気もする。
この銭湯の主人は、川端康成に似た顔つきで、川端は好きでないけれど、この主人は私は大好きである。主人も、まじめ「そう」な私を、悪く思っていない感じがして、ありがたい。
この銭湯は、私にとって大切な場所である。自分の身体を慈しみ、身体がしんから喜び、いつのまにか心地よい疲れに身を委ねられる、この世で唯一の場所と言っていい。
私が唯一不安なのは、「この人、昼間によく来るけど、ちゃんと仕事していないのかな」と主人に不審者に見られないかということだ。
実際、していないのだから、どうしようもないのだが… 小心、この上ない。