それにしても、腰痛にはまいった。もうほとんど回復したが、やはり身体の不調は、人を簡単に絶望させるなあ、と思った。
もう一度、身体がおかしくなる前の数日間のことを考えたい。タマゴが先か、ニワトリか、の話になりそうだけれど、あの数日間が、身体の異変と、どうも無関係ではないと思えるからだ。
あの数日前、やはり絶望していた。希望が、見当たらなかった。希望は、いつも未来にあるが、その未来に、つまり不安ばかりがみえるようになったのだ。
その不安には、過去も大いに加担してくれた。で、先への不安と、もはや絶対化した過去(絶対に変わらないということ。後悔ではない。その絶対さに圧倒されるしかなかった)との間に、つまり今というところにギュウギュウ詰めになった、というふうだった。
この今も、過去になっていく、と思った。こないだ正月だったのが、もう四月になっていた。切実に、焦った。何もしていないと思った。何をしてきたのか、とも思った。これからも、こうして過ぎていくのかな、いくんだろうな、とも。
すると、眠れなくなった── いや、眠れなくなったから、考えはじめた、ともいえる。
先に対する不安。現実的には(現実は現在であるのに、先のことが、先に対する不安が現実そのものと化していた)、所謂「老後」のこと。年金である。
70歳まで生きたとして、それから支給される額が、年金機構から来るハガキの試算によれば、毎月七万円ほどであるということだ。
これは、たいしたことではない。もらえるだけありがたいし、七万円でひと月やりくりすることに、ちょっとわくわくしたりする。
問題は、それまで、もつかということだった。60歳くらいから、年金はもらえるもの、と、長年思っていたのだ。
どうも、70というのが、遠く感じられた。あと15年。家に、今いくら貯金があるのかも分からない。貧乏であることは、たぶん確かだ。
主夫(!)なんかやっている場合ではない、と思えてきた。しかし、腰が。(これは言い訳だ)
こうして、ゆっくり、確実に下降していった。
毎日、好きなだけパソコンに向かえ、モノを書くことができることは、しあわせなことだと思っていた。しかし、こんなことをしていて、何になる? という疑いが、強く頭をもたげた。
文学賞みたいなものに応募した。小説を書けない、自分の才のなさも痛感した。
あれやこれやと、もうダメだ、と思えるに、十分な要素、自分からすすんでその要素ばかりをかき集めていたのだが、その要素たちを、クローズアップしてばかりいた。
と、こんなことを書いて、だいぶ落ち着いた気がしているのだから、世話がない。
結局、自分のためにしか、書いていないんだなと思う。
ついでにいえば、もうエッセイみたいなものは、いっぱい書いたつもりでいるし、あとは今までと同量の小説を書こうと思っていた。小説でしか出来ない表現、小説の形でしか言い表せないものがある。それを書いていこう、と以前から考えていた。しかし、しかし、だ。
これは自分の生き方のもんだいだったと思う。他者にではなく、自分に重きをおいて、生きてきたということだ。どうしてこうなったのか分からない。こういうふうにしか、やってこれなかった、としか思えない。その責任、代償のようなものは、自分でしっかりとる気でいるけれど、その「気」が、どうも不安定である。
「覚悟」が出来ていないのか。それとも、もっと気楽に、が足りないのか。それでいいのか。
この頃は、寝る前に、何も考えないように、と自分に言い聞かせている。起きているあいだだけで、十分だ、と思おうとしている。
何も考えないように、言い聞かせると、ほんとに何も考えないような気になって、けっこう寝つきが良くなった。だが、今夜は、何か書かずにはいられなかった。
そう、この、書かずにはいられなかった、~せずにはいられなかった、が、ホントなんだよな。
ホントのことだけ、それだけしようよ。と、また自分に言い聞かせている。ああ、朝だ朝だ。