死の哲学

 池田晶子の「さよならソクラテス」という本、好きである。

 ソクラテスに云わせているのは、「人間の寿命が伸びて、介護を必要とする云々」という章の中で、
「老人には、自殺をしてもらうのだ。そのための、哲学の学校をつくって、幼いうちから教育を施すのだ。
 哲学とは、そもそも何か? 死の学びである。生まれてきて、死ぬ。当然だ。これを怖れて免れようとするのは、けっして、よく生きることではない。
 よく生きるとは、よく死ぬことだ、と幼いうちから教育するのだ。生きることに執着するのは、高貴でも優れていることでもなく、むしろ、恥じるべきことだ、と。」
 というようなことであった。

 これは、高齢化社会の中で、介護の病院や施設ばかりつくるのではなく、ホントウの解決は、死についての各人の取り組み方である、と書いてある文に、ぼくには感じられた。
 で、「安楽死病院」の創設を、池田晶子の描くソクラテスは、唱えていた。

 言いたいことを言いすぎて、ホされていた時代もあったらしいけれど、池田晶子は、ほんとうに考えて考えて、すべてはそこから始まっているかのようで、そんな文章が、ぼくは大好きだった。

 それにしても、「哲学」とは、そもそも、「死を学ぶこと」だったのだろうか。