ケガをする人

 過日、連れとキトラ古墳を見に行った。高松塚古墳は有名だが、キトラはそれほど知られていないように思う。素晴らしい展示が無料で見られ、飛鳥の大きな空が広がる、気持ちが大きくなれる場所。

 無事に小旅行を終え、歩いて帰宅途中、連れが電柱にぶつかった。よそ見をしていたからである。まさかぶつかるとは、当人も私も考えていなかった。
 そのとき自販機でタバコを買っていた私は、思わずこんなことを言ってしまった、「うーん、ケガをする運命なんだなぁ…」
 幸い、右目の下が赤くなるくらいの程度だったが、私は自己嫌悪に陥った。なぜあんなことを言ってしまったのか、と…。

 ほんとうに、連れはよくケガをする。エアコンのトラブルの際は、キャスターの付いている椅子の上に乗ってエアコンに触ろうとして、椅子から転げ落ちて腰をかなり痛めた。
 東大寺に行く途中の、なだらかな石段を降りる時、突然つまずいて、両手をついたために手首を痛めた。
 家の玄関前の階段のところで、なぜかコケ、片足を捻挫した。
 回復に向かう頃、実家の敷石で同じ箇所をまた捻挫した。
 そして電柱。
 最初は少し赤くなっていただけだったのが、次第に目のまわりがアザになって、今やまるで私がドメスティックバイオレンスでもした痕みたいに見える。

 連れは、カナダで庭師のような仕事をしていた。高木に梯子をかけて登る際、手に持った剪定鋏が頭に落ちてきたという話も聞いた。
 どうしてこうも、ケガをするのか。
 ひとりで「散歩に行って来る」と出掛ける時など、私は心底から「気をつけてね」と言う。無事に帰って来るのか、ほんとうに心配する。
「引き寄せの法則」というのがあるらしいから、あまり気にしないようにはしたいけれど、帰ってくるまで、ほんとに心配する。

 料理の際に使う包丁も、家には2本あるのだが、大きな重い方の包丁を使い、豪快に固いカボチャなどを切っている。私は小さな軽い包丁で、カボチャは慎重に切る。
 二階に干した布団を一階に運ぶ際も、家の階段は急で、カーブもあるのだが、臆することなく下りる。
「なんでそんな早いの?」と訊くと、「階段の数を数えてるから」と言う。私は数を数えて間違ったら大変だから、一歩一歩確かめて、特にカーブの所など慎重に足元を確かめる。
 これはもう性格上の問題で、どうすることもできない気がする。
 今、連れは右脇腹と右足を骨折中で、家で松葉杖をついている。先日、ひとりで自転車でコケたのだ。
「病気やケガは、カミサマからのメッセージ」という人もいるけれど、とにかくカミサマがいようがいまいが、注意深く、生きてほしい。