「ブログ」について考えてみよう。
今、自分が時間を費やしているもの、いわば自分のいる場所、座って向かっているものが、このブログであるからだ。
むろん、これは表面上、表象上。内面は自己に、そして知らない人に向かっている。
カテゴリーは「生きづらさ」。
ずっと、云いたかったことでもある。書くということは、自己セラピーの効果があるということ。
茫漠とした、とりとめのない心、気持ち、意識、これら、自己を自己とさせるもの。
無形のものを、言語、文に形どること── それによって、初めて自己が自己によって形になるかのようだ。
すると、目に見える時がある。見えなかった自己が、見えたような気になる時がある。
鋳型に流された、わけのわからない溶液のようでもあるが、文字に象形される。
そうさせるものは、他の誰でもない。この自己以外の、何者でもない。
言葉に表現するということは、誰の手によってでもない、自分の手によってすることだ。
それなのに、PVが上がらないからとか、ポイントが入らない、コメントが、などといって、自分の手を動かさなくなってしまうのは、残念だ。
せっかくの自己が、他者に動かされている。自己表現の場に、肝心な自己が不在になる。
書く、自分自身が、他者に乗っ取られてしまう。
ただでさえ正体不明の心に、さらに分からない他者を上塗りしては、いよいよわけがわからない。
「生きづらさ」は、一人が抱える、一人でしか抱えられないもの。でも、一人一人が抱えているもの。
「いいね!が社会を破壊する」という本もあるそうだ。
いいねばかりを欲しがって、まわりに合わせるばかりでは、自分を喪失する。
せっかくの自己表現の場が、その自己を失わせるような場であっては、やはり残念だ。
そうするも、しないも、自分次第。
と、自分に言う。