あなたは、よくやった。よく、考えた。
ということを、2500年くらいですか、あなたが生きていた頃から数えて、ぼくは知ったつもりでいたりします。
プラトンさんのことは知りません。
ソクラテスさんのことも、実はあまり知らないのですが、今、それっぽい本を読んでいて、あなたには強い共感を覚えます。
なぁんだ、オレ、自信もってよかったんじゃん、などと、だいそれたツケアガリを感じたりします。
実はぼく、定時制高校時代、クラスメイトのひとりから、「ソクラ」と呼ばれていました。
けっこうマセガキで、テツガクみたいな言葉をよくひとりごちていました。
通わなかった中学の卒業文集には、「人間の幸福について」を書きました。
形而上の、いろんな言葉を駆使するだけの、つまらないものでした。まぁどうでもいいです。
ぼくは、性癖として、ねちょねちょといろいろなことを考えて生きてきました。
何も自慢できるものではありません。誰でも、していることです。
しかしソクラテスさん、あなたにはほんとうに共感することが多い。
あなたの考えていたことは、ぼくには、うなずくことしかできません。
ぼくが本を読むのは、「ぼくはひとりじゃないんだ」という確認をしたいという動機が、かなりの位置を占めています。
ぼくは、不安なのです。共感できる相手がいてくれたら、ぼくは、ひとりじゃないと思える。
あなたは、たぶん、あなたであり続けた。
そこに共感するぼくは、ああ、ぼくは、ぼくで、いい、と思うことができます。
思想なんて大袈裟なものではなく、考え方、考えの道程、それが、おそらく、あなたにあてがわれた生命というものだったように思えます。
あなたは、それを、まっとうしたわけです。
ほんとに、「結果、結果」と、そんなものばかり求めるのは、違いますよね。
考えること、なんですよね。それも、相手に分かり易いような言葉で伝えるということ。
考え続けさせていただきます。