その日、夜の9時を回った頃、僕は店を出ようとした。
まだ打ち続ける人々のいる正面の、自動ドアのすぐ横に、中年の男がひとり、手持ち無沙汰げに立っていた。
その男は、身なりがいいとは言えない恰好で、しかし気の好さそうな顔をして、伏せ目がちに微笑みながら立っているのだった。
(ああ、パチンコをしたいんだな。でも、できないんだ…)私はそう直感した。(しかし、何を待っているんだろう? 誰かに、めぐんでもらうことか。情けない男だ…)
その男を見たのは、この一度だけだったが、忘れ難い、強烈な印象を僕に残した。自分も、そうなっていく気がしたからだ。
また、別の日には僕の左隣りで打っていた労務者風の男が、いきなり「ああ、もうダメだぁ」と叫んで、台のガラスを殴りつけた。
ガラスが割れるとほとんど同時に、男は席を立ち、出口の方へ歩いて行った。
僕は驚いた。だが、まことに驚いたのは、その横で何もなかったように打ち続けている僕自身にであった。
そしてその暴君のすぐ隣りにいた婦人も、何もなかったように打ち続けているのだった。
また、ある日には、僕の横で打っていた背広姿の男が、これは当たるだろうという強いリーチを、3回も、立て続けに外した。
これはひどい、と僕も思った。
すると彼は、「ワハハハハ!」と台に向かって大きな声をあげ、狂ったようにひとりで笑い出したのだった。
直視していたわけでないが、おそらく彼は、台に向かって目を見開きながら、大きな口を開けて笑っていたのだ。
〈 狂気と正気の狭間で。〉
また、僕は、2、3の店を行き来していたのだが、1つの店に、常にいる中年の婦人を見かけた。
そして彼女が当たっているところを、ついぞ見たことがなかった。
だが婦人は、朝から晩まで、とにかく打ち続けていた。
その表情は、心ここにあらずというか、いや、心はここにあるのだが、現実と自分自身が一致していない、というような顔をしていた。
その姿を見る僕も、もちろん、立派なパチンコ中毒者になっていた。
こんな下卑た所に、と、自分が通う場所を見下しながら、そこにある、すぐそこにある宝箱を開けたくて。
一歩足を踏み込めば、ああ素晴らしい世界だと思いながら。
金を失う、絶大な絶望の予感も伴いながら、足しげく僕は通い続けた。