椎名麟三と大江健三郎の死

 椎名さんが亡くなった時、お別れの会か何かで「あなたを失って、私たちは何をよすがに、これから生きて行ったらいいのでしょう」と大江さんは弔辞を述べたという。

 よすが、だったか、目標、だったか。道標だったか、頼りに、だったか、そういうニュアンスで、大江さんは椎名さんの死を悲しんだ。

「あなたは誠実すぎるほど誠実な人でした」とは、確かに言っていた。

 そして、大江さんも死んでしまった。

 椎名麟三と大江健三郎。ぼくが何か苦しい時、また書く時に、必ず必要だった二人だ。

 山川さんもそうだった。

 彼らの小説やエッセイを読んでいる時、彼らとぼくは一緒に生きている気がした。

 生きる根本、何がほんとうに大切なのかという、失ってはならないもの── その中に埋まり、また飛ぶことができた。

「人類の有史以来、一体どれだけの人間が生きただろう。一人ぐらい、死なない人間がいてもよさそうなのに、誰もが必ず死んでいった」
 椎名さんはそんなことも書いていた。

 ぼくの育った家庭を救った、といっていい、児童精神科の渡辺位さんは「私は死なない」と言って亡くなった、とどこかで読んだ。
 その「学校に行かないでいい」という考え方は、確かに死なない。死んでほしくない。生者によって、死がほんとうの死になるか、生き続けるかが決定される。

 考え方、ものの見方一つで、人生は変わる。だから世界も変わる。
「家庭が変わらないと、社会も変わらない」と渡辺さんは言っていたそうだが、その家庭をつくるのは個人だ。頭の中、眼の中、生命の中だ。

 思想や哲学が、継がれていくも、棄てられるも、あまねく生者に委ねられる。