物に溢れているなぁ、と思うのは、自分の頭の中のせいだろうか。
眼から来る軽い頭痛なのか、首から来る肩の凝りなのか、何だかよく分からない身体さんに、厄介になってもらっている。
ニンニクを食べた方がいいのかな。それとも、やつめホルゲン?(サプリメント)
口内炎にはチョコラBB。
眼にはルテインという成分がいいらしい。
パイナップルの栄養素を凝縮したようなサプリメントもある。あまり知られていなさそうだが、飛蚊症に効果が期待できるとか。
健康補助食品は、「~に効果があるとされています」とか、曖昧な表示のものが多い気がする。栄養成分というのは、確かにあるだろうが、それがホントに利用者の目的に沿うものなのか、効くものなのかというと、確言できないものがあるだろう。
毎日続けて飲むことがだいじ。そう言われると、その方が製薬会社が儲かるからだろう、と邪推もしたくなる。クスリ的なものは異物だし、ほんとはそんなもの、要らないのではないかと思いたくもなる。
とにかく種類が多過ぎる。値段もまちまちだし、ネットを見ているだけでゲンナリしてくる。「絶対欲しい物!」であれば喜々として選ぶが、「絶対じゃないかもしれない物」にはそんな執着が湧かない。
でも、何かあった方が、身体に良い気がする…
しかしほんとに物の種類が多い。「選ぶ」だけで大変な作業だ。自動販売機やコンビニの飲み物コーナーでも、ただコーヒーを飲みたいだけなのに「微糖」「無糖」「なんとかブレンド」「香りがどうの」「なんたらかんたら」と、迷うに充分な品目。迷ってる間に、水でいいか、量も多いし、となったりもする。
こどもの頃は、UCCとポッカ、ベルミーコーヒー(!)の三種が主で、あとはそんななかったと思う。栄養ドリンクもオロナミンCをメインに、アルギンZ、リアルゴールド、アスパラドリンク、赤まむしドリンク(!)そんなていどだったような…(40年前のセブンイレブンでバイトしていた頃)
精神的な病も、鬱病、躁鬱病ぐらいしかなかった気がする。今や、双極性がどうの、大人になれない病気?とか、適応性がどうのとか、まったくよく分からない。
どんどん細分化されて、大きかったもの(大きく括られていたもの、アバウトだったもの?)が小さく、細切れにされて、仕切りがたくさん出来上がった感じがする。領分、テリトリー、ここからここまでがコレです、といったようなものが。
だから何だと言う気もない。需要があって、供給があって、自然必然にこうなったんだろうな、と思う。
とにかく「選ぶ」という、この作業を、とかく強いられる。ニュース記事にしても、数多あるブログにしても、いろんなサイトにしても…
今日、不意に気づいた。僕のこのブログは、ほとんど読まれていないなぁ、というようなことに。
いや、そんな読まれたら、おかしいと思う。人気ブログとか、ランキングの上位になんか行くのは、絶対おかしい。そんなことを書ける自分であったら、こんな自分ではないだろう。全然違う人間になって、また、なれていただろう。
もしかしたら、こんなことを書いているのは、この世に対する怨嗟なのかもしれない。それは大きなパワーになっている…だろうか。
少なくとも、書くことについては、これはパワーになっている。
「物」という、「自分以外のもの」について書こうとしたが、結局自分というモノに還ってきてしまう。
こんなふうに、文章を書いて、はやン年。こんなふうに生きて(出たぞ、また「生きる」が)はやン年。
こんな調子で、これからもやっていくのかなぁ…
なるように、なる。なるようになれ、だ。