空想の上に

 他人からの評価によってしか、己を立たせられない者。

 評価を得たい、そればかりに躍起になって、ほんとうの自分のことなど省みもせず、借りてきた着ぐるみで、他人の足を自分の足にして、歩く人がいる。

 わたしゃ、知らんよ、あなたがどんな人なのか。ちょっとやりとりすれば、わかるけれど。何やら、いつもランキング(これがまた!)の上位にいるらしいが、そしてそれがあなたのプライド、根拠をよく見れば何もないようなプライドを形成しているようだが、わたしにはつまらない、読んだところで何も残らない、やっぱりつまらない文章に見えるよ。

 わたしだって、そうだ。つまらん文章を書いているよ。でも、少なくとも迎合しようとはしていないよ。これを書けばウケるとか。ねえ。そんなにまでして、どうして評価を得たいのかな。

 伝わらなければ意味がない? 人に読まれて、なんぼだから? 伝わり易く、平素な、差し障りのない、無難で、「共感を得易いもの」を書くんだって?

 そうですか。結果が示している、って? おめでたいことだ、おめでとう!

 もう一度言うが、わたしはあなたを知らんのだ。あなたが、評価を得るだけで自尊心が満たされるという、それだけの人間であることはわかった。でなければ、あんな居丈高な態度は取れないだろうからね。いや、ちょっとやりとりすれば、わかるものだよ、そういうものは。人間性とか、そんな大袈裟なものでなくても、わかるものだ。それこそ、伝わるものなんだよ。

 自分の希望と、まわりの需要が一致するのは素晴らしいことだ。あなたは、トップになろうと望み、まわりもその通りにきみを認めた。認めた? ただの、クリック1つ、また、不透明なPV数という、ただそれだけのために。

 笑える話ではないか。きみはそこに何の疑念も抱かず、「この通りだ」と、その通りの質さえ深く考えようともしないで、無邪気に、あまりに無邪気に喜んでいる一方だ。

 羨ましいよ。いや、きみの文章への羨望ではない。きみの単純な、単純すぎる判断基準、自己評価への安直さ、たかだか一位だ二位だになったぐらいで何の憂いもないように喜べる、その単細胞のような精神構造が羨ましい。

 何も、悪く言っているつもりじゃないよ。誓って言うが、単細胞、素晴らしいのだ。わたしだって、単細胞の塊だよ。ただ、トンボの眼のように、複眼でありたいのだ。そして、目を回していたいのだよ。誰かがわたしの前で指を回せば、わたしは簡単に目を回すよ。

 そして誰に向けて言っているわけでもないのだよ。たぶんこんなふうに── 人の評価にばかり目を向けて、そこから文を書いて、要するに自己表現をしているという、そういう人が多そうな気配を、トンボの直観として感じているだけだよ。

 それは、ほんとうの自己なのか、と問いたいだけだよ。

 人に、読まれないからって、もうやめちまう、書く意味がない、なんて思うのは、残念なことだ。

 それに、そんなところから始まる交流は、なんと薄っぺらい、たよりない、けむりみたいなものかと思うだけだよ。わたしも、薄っぺらく、たよりない、けむりだけどね。

 やあ、それにしても蒸すねえ! たまらないね、梅雨時は。

 元気でね、同じ空の下、応援しているよ。きみに元々あった気、それが「元気」だ。きみの元気を、きみが元気でいてくれることを。