何度も書くよ。
承認願望、自分が人から、認められたいとする願望は、現代にあって悪である、と。
なんでこんなことを思ったかといえば、あのウクライナとロシアの戦争さ。
ああ、オレにもある、と思ったね。
自分が認められたいんだよ。「我」を通したい、思い通りになりたい、させたい。
そしてこんなブログという形態で、こんなことを書いているわけだ。読まれたくて? 読まれたら、嬉しくって?
とんでもない。「読まれたい」そんなことから始まって、どうすんだ、って話だよ。
でも、俺にあるんだな、この「承認願望」ってやつが。
だから、なんだ、これでも格闘しているわけだ。自分と。「認められたい」自分と。
おかしなもんだ。ばかみたいなもんだ。
昔から、そうだったんだけどね。