奈良で

 もしこのブログをきっかけに、だれか友達ができたとしたら、と夢想する。

 その相手は、どんなひとだろう。類は友を呼ぶというから、やっぱりいろいろ、めそめそ考えている人だろうか。それとも、「シャキッとなさい!」と元気をくれようとする人だろうか。それとも、あなたのことはよく分かった、ちょっと確かめてやろう、という好奇心の人だろうか。

 宗教の勧誘かもしれない。または、何か妙な団体の?

 いやいや、閉鎖的なブログだから、特に実際に会う、ということにまで至らないであろう。

 ぼくは特に何ということもない、単なる中年すぎの、といってシニアにもなれない、中途半端な坊主頭のおっさんにすぎない。

 あんまり人に迷惑をかけるようなこともしていないつもりでいて、というより人とあまり接していない。

 もし今新しい友達ができたら、嬉しいかもしれない。しかもこんな文章ばかり書き、「自分を分かってくれるような人」であるなら、都合もよい。

 だが、その私は私を分かっていないとしたら、「相手まかせ」の、ムセキニンな関係── そんな顔が出るだろう。

 相手が、私を分かっているとして、それがたとえ誤解だとしても、その誤解を「誤解だ」と言い切り、説得させるだけの「私」は希薄なようにみえる。あなたがそう思うなら、そうなのだろう── 自分が納得できないだけであって、その自分を相手に強制送還するみたいに押しつけようと── するだろうか。

 何にしても、夢想である。現は、暑く、熱射の日照り。今日の夕飯は何にしよう、と、考え考え、スーパーへ行くのだ。気分的にはソーメンだが、冷蔵庫に冷やし中華のストックもある。行かなくてもいい。ただ、今日はポイントの2倍デーなのだ。歩くのも、いいだろう。

 基本的に、そんなことに重点を置いて、その日その日を暮らしている。一緒に暮らしている人が元気でいてくれれば、ありがたい。この自分も、きっと元気だから、これもきっとありがたく。

 この「ありがたさ」だけに、ほんとに生きれたらいい。