外も暗いし、蒸し暑いから、あきらめてカーテンを閉め、エアコンをつけた。
布団の上でくたばっていると、何やらチュンチュン声がする。
ああ、スズメか、この頃よく庭に来てくれるんだよな、大家族(?)で。10羽以上が、昨日もエゴノキや夏ミカン、切って横にしたままのティーツリーの枝葉などに、やたらいた。
可愛いんだよな、スズメ。
カーテンを開けると、目の前の椿に、メジロがいた。ちっちゃくて、子どもみたいだった。メジロの家族(?)も、よく来てくれる。
やあ、おまえだったのか。
でも下を見ると、スズメもいた。
昨日ほどではなかったにしても、けっこういらっしゃって… メジロも、一羽でなく、数羽、いるようだった。
可愛いんだよな、メジロ。スズメとの関係は?
でもカーテンを開けて、何か警戒したのか、スズメの数羽は飛び去って、メジロも飛んでいってしまった。
鳥はいいなぁ。チュンチュン、ピーピー、ヒヨヒヨ。これだけで、いいんだ。
人間なんか、やたら言語をつくって、しかも真意が伝わるかどうかも分からない。言ってる本人が、嘘なのか本当なのか分からない始末である。本当か?と念を押されれば嘘のような気もするし、嘘だろ?と訊かれれば本当だと言いたくなる気もする。
言葉自体が不完全であるのに、さらに輪をかけて不完全な人間がそれを駆使している。
ああ、虫もいいなぁ。リーリー、スイッチョ、ジージー、チッチッチ。これだけで、いいんだ。しっかり、伝わるよ。
不完全であるから、完全を目指すことができるのだ、とも思わない。何が完全で、何が不完全かも知らないで、ただ、かれらは鳴いているのだ。それで、しっかり生きて死ぬ。なんと潔いことだろう。
ところで、虫の場合、多くは伴侶を求めて鳴いているのだろうな。
どうして求めるのかも分からず、ただそうしているだけで… そして真剣に鳴いているのだろうな。
出逢えるか、出逢いないかも知れず、ただ、鳴いているのだろう。真剣に、一生懸命に…? かれらは、真面目も不真面目も、何とも思わないように見える。
ああ、人間だけだよ、と言っているのも人間だけだ。
狭苦しい生き物だよ。
人は、しゃべる。べらべらべらべら…
怖いね。人間は怖いよ。
だから人間以外の、何もしゃべらないものが好きだな。「愛せる」気がする。
でも、何も訴えて来ないもの。それは死人と同じで、こっちがそいつを「ものにしている」ということなんだよな。
そんなの、愛でも何でもない。
ほんとの愛はね… べらべらべらべら。