気力の出どころはどこだろう。
音楽なんかを聞くと、なんだか出てくる気がする。
鬱憤とか、内にこもっていたものが。
とすると、気力の胚胎は、もやもやしたした鬱憤、イライラ、ユーウツのなかにあるのかもしれない。いや、きっとそうだろう。
であるなら、このモヤモヤは、とても大切なものだ。
実際、チキショー、どうしたらいいんだ、というどうしようもない時、文章もたくさん書ける。そして書くと、スッキリする。思い惑っていたものが、自然に絞り出された感じで、何か「やった」気がする。で、満足して眠れるのだ、とりあえず。
またあの「やった」感を味わいたくて、何か書きたくなる。でも、その時はもう過ぎている、いつまでもモヤモヤしてはいられないからだ。
たぶんいろんな苦しみ、肉体の苦痛を除く大抵の苦しみ、受難とでもいうものは、時間によっていずれなくなる── だろう。次から次へと、時間が生命の上に覆い被さってくる。生命は削られる。摩耗する。
生命? 何だろう、この実体は。
どこから来て、どこへ行くのか。
誰も知らない。