気(2)

 気、というのは、あるな。ほんとに。

 元気なんて、元の気だ。「元気?」と聞くのは、まさに「元の気、調子どう?」みたいなもので。

 生命は「気」の集合体。うなずける。

 精神論ではない。気と精神は違う。精神は、いわば「気に宿ったもの」だろう。

 そして気は、身体に宿っている… というより、身体をつくっている。気と身体は、この意味で同時進行、一心同体だ。

 心はまたヤンチャ坊主みたいで厄介だが。気持ちというのも類似的で、ふわふわしている。

 しかし気というのは、じつに見つめ甲斐がある。見つめられないものだから、感じ甲斐、とでも言おうか。

 しかも、それは身近すぎる、この我が身、この身に宿る我であるが、この身の内にあるのだ。

 この体験できる「気」、見つめ、感じ、仔細綿密に、「気」の動きを観ずること。

 宇宙が見えるような時もあるし、秘密の何かを感じるような時もある。

 この「気」を私がほんとうに操作できるようになったら、… たぶん、鍛錬すればできるようになる気がする。

 そのためには、とにかく「見つめる」ことだ。

 細部、こまかな、ちいさな、微妙な動きを。

 とても、楽しい。