キルケゴールは云った、「不安は、生きることである」
∴ 生きること=不安、不安=生きること。
椎名麟三は云った、「私は不安でないと、不安になって、不安を探してしまう」
── そう、たとえば楽しい想い出が沢山あったとする。でも、悲しかったり苦しかったり、いやな想い出の方が強く残る。忘れたいような想い出の方が、よほど忘れられない。
楽しい想い出だって一杯ある。でも、わざわざ楽しくない想い出を思い出す。
それと同じで、不安を、人は大事にする。自分からすすんで不安になっているのだ。
ドストエフスキーは云った、「人間が不幸だと思うのは、幸福であることに気づかないからだ」
わざわざ、何を後生大事に、自ら不幸や不安にすすんで行くのか。
「楽しい時って、何も考えないよね。でも悲、苦、淋の時は、考える。考えるから、それが自分の中に深く入って、大きくなって残ってしまう」そう言った人もある。
きっと、そうだ。
「考えること」ここから、人は離れられない。それは万人共通の、大いなる才能だ。
どんなに考えまいとしても、結局何か考えている。
肉体の苦痛は、精神のそれと違って、忘れ易い。
そりゃそうだろう、不安の方が、深く刻まれるのだから。
肉体は偉大だよ。
チャンと、生きよう、としてくれる。
不安をなくすことはできない。
ならば、せめて身体を大切に、身体にしたがって生きよう。
ほかに、何にしたがえる?
この、「生きている」という自分の存在に対して。