私のダイモーン(3)

 それにしても、なぜ私はこのような精神状態になったのだろうか。

 特にナンダというわけでもない。ただまったりとして、でもグータラな感じでなく、何かが研ぎ澄まされ、鋭敏になっている。

 行動、言動が何か変わった、とは思えない。感性みたいなもの、自分の中の「動き」が機敏になったような感じがする。

 ツレアイの実家に行ったのがきっかけだったろうか。行くまでは、こんな感じではなかった、鬱々とした、げんなりした気持ちが大きく占めていたはずだったが。

 ソクラテスのダイモーンについて考えたのが良かったようだ。「~せよ」でなく、「するな」という声。ソクラテスにしか聞こえなかった声。

 何かしよう、という気持ちは絶え間なくある。掃除をしよう、歯を磨こう、部屋の整理をしよう。どんな気持ちであれ、それを私はすることができる。

「それをするな」という声を、私は聞けるだろうか。よく、私は耳を澄ました。自分の内に向かって。

 だが、この声は、聞きたくて聞けるものではなかった。ソクラテスも、その声を期待していたと思えない。おそらく不意に、自分の意思・意志に反し、思わぬところから不意に、「それはやめろ」と彼のダイモーンから言われたに違いない。

「やめろ」と言われるまで、彼は自分の思った通りに、やりたいことをやり、他者との議論に専心し(正しいこと、真理のようなものを相手と一緒に見つけるために)、「自由」であったはずだ。

 自由。彼は、ダイモーンが「それはするな」と言うまで、全き自由であったはずだ。

 だが彼はその声が聞こえると、それに従った。

 彼はその声に対して何の不平不満も覚えなかった。従順に、こどもみたいに素直に、その内なる声の「命令」に従った。

 このような生き方でいいのではないか。私は、ソクラテスのダイモーンについて、曲がりなりにも考えた結果── 自分の不登校がまずそれだった、と案外簡単に気づいた。

 私は、自分が、学校に行かなくちゃと思っていても行けなかった、この自分がイヤでイヤでたまらなかったが… 私は、私のダイモーンに従っていた。

 周囲に大迷惑が掛かる。この自責から、私は私自身を殺そうとした。でも私は生きた、私のダイモーンに従って、そのままに。

 周囲には周囲のダイモーンがあった、とは思えない。彼らは、ただ「こどもは学校に行くもの」という常識に囚われていただけだ、と思う。

 私も囚われていた。「学校に行かなくちゃ」に囚われていたが、それを私のダイモーンは制した。ただの、それだけの話なのだ。

 しかし悩み苦しむというのは、その時はもうまさに苦しみ以外何もないような時間だけれども(厳密にみれば四六時中苦しんでいたわけでないにしても)…