意而子が許由に面会したところ、許由が尋ねた。「お前さんは堯のところにいたようだが、堯はお前さんに何か教えてくれたのかね」
意而子が答えた。「堯帝は私に向かって、お前は必ず仁義を行ない、是非善悪を明白にして言え、といわれました」
「もしそうなら、わしのところへなぜ来たのだ。もはや堯はお前の身に仁義の入れ墨をし、是非善悪の差別でお前を鼻切りの刑にしてしまったのだ。もはやお前は、あの、何ものにもとらわれず、奔放自在に変化してやまない道の世界に遊ぶ資格を失っているのだよ」
「たとえ、そうだとしても、せめてその境地の端くれのあたりにでも遊べたらと思います」
「いや、それもだめだ。盲者は美人の麗しい顔立ちには縁がなく、瞽者は色あでやかな模様を見ることはできないよ」
だが意而子も負けていない。
「しかし、あの無荘がその美貌を鼻にかけなくなり、勇者の拠梁がその力を誇る心をなくし、黄帝がその差別の知恵をなくすようになったのは、みな造物者の鑪の中で鍛え直された結果にほかなりません。
とするならば、造物者が私の入れ墨を消し、切られた鼻を元通りにし、私の身を完全な姿にかえして、先生の教えを聞けるようにしてくれるかもしれないではないですか」
許由も、仕方なく答えた。
「うん、それはそうかもしれないな。では、ひとつお前のために道の大略を話すことにしよう。
私の師よ、私の師である道よ。万物を打ち砕いて、すべてを一に帰させながら、しかもその行ないを正しいと自任することがない。万物に恩沢を及ぼしながら、しかもその行ないを仁として自任することがない。
永遠の昔から存在し続けながら、みずからを長寿者として誇ることもない。上に天をつくり、下に地をつくり、万物の限りないさまざまの形をつくり出しながら、みずからを芸術家として意識することがない。
すべてこれらの偉大なはたらきは、道にとって遊びにすぎないのである」
── 「道すなわち造物者は、天地万物を創造するという点では、キリスト教の神に似ているようにみえるが、しかしその本質は自然という非人格的な力であり、そのはたらきは無意識のものであって、いいかえれば遊びにほかならない」とは、森さんの解説。
やはり森さんの本で、人格をもった神を神とする西洋と、自然を崇める東洋的信仰の違いは、「西洋人と東洋人の、その生活を立たせた現実的な自然の違い」というようなニュアンスで書かれていた箇所があった。
農耕民族(日本、中国…アジア?)は「自然」の影響を受け易く、作物の出来不出来に直結、歴史的に「自然には逆らえない」ことを日々の生活で思い知らされてきた。
が、西洋は、農耕だけでなく牧畜も盛んであったから、自然の猛威は知りながら、それで決定的なダメージをくうことが少なかったのではないか、東洋に比べて… という具合に。
また、「日本では公害が問題になっていて、自然を守ろうという風潮になっている」と言うと、現地の相手は「国が変わると妙なことを考えるものだ。こちらではアスファルトの道を1mでも長く伸ばして、この自然を少なくすることが必要だ。自然を大切にするようなことをしたら、我々は生きて行くことができない」という新聞のコラムの話も、参考のようにその本に引用されていた。
自然を大切にするようなことをしたら、我々は生きて行くことができない。印象的な、何か突いてくる言葉だ。
ところで、話は違うが、荘子にはよく「忘れる」ことの尊さのようなものが書かれている。存在を忘れ、ありとあることを忘れ… 自分が生きていることさえ忘れる。それを「聖人」などと言っている。
介護の仕事を、これでもしていた自分としては、認知症とよばれて「何でも忘れてしまう」入居者さんと、とても楽しく接することができていた。たとえばおしっこをうまくできなかった方に、そのお世話をやかせて頂く時など、なにしろ本人はうまくできなかったことを忘れていらっしゃる。その本人から「大変だねえ」などと言われると、笑えて仕方なかった。
ほんとに御年をとられた方、そして全てを忘れているかのような方は、何か聖人、と言っては言いすぎだが、とにかく素敵な感じに、僕の目に見えていたような気もする。まだ荘子を読む前だったが…。
ついでに言えば、認知症は脳がどうかした病気であるらしいが、僕はそれを病気と考えていない。そりゃ年も取ればそうなるよ、自然なことだよ、としか思えなかった。
毎日毎日介護するご家族の方からしたら、大変なことだが(僕は週休二日で残業がなかったからできたと思う)、「何でも忘れる」ということは、すばらしいことなんじゃないか…
いや、大変だからこそ、荘子の、そんな考え方を、と思う。
少しでも、心に余裕を… 下のお世話をしたり、でもつらい、いやなことばかりでない、「ぜんぶ忘れる」すばらしさを身につけた人なんだと、笑えるような余裕を、気持ち、心に、などと考えてしまう。
無茶苦茶な文章だな…