カラマーゾフ、ここから私が体得したいのは「容認する」「受容する」、この世のありとあること、あらゆることをいわば受け入れるという、この心のようなものをこの身に携えたい、ということだ。
今戦争が起こっている。これを私は悪… 結局、悪、としてきた。
とすると、善があった。
カラマーゾフのアリョーシャが、どうも私と被ることになった。
アリョーシャは、いわば戦争を否定する。(戦争のことなんて何も書かれていないが)
だが、神が人間をつくったのだとすれば、とドストエフスキーは書いているらしいが、戦争を起こす、悪事をするのも人間である。神がつくった人間である。
兄のドミートリイはアリョーシャに詰問する、「お前は戦争を起こす人間をどうするというのだ。」
問答のはてに、「そういう悪事をする人間を、お前は銃殺するのか」とまで行き、「銃殺します」とアリョーシャは答えざるを得なくなる!
聖人のようなゾシマ長老でさえ、その死後は醜悪な、腐敗した醜い死体になった。アリョーシャはそれを見て…
ああ、これは何とも、どうにも、ここに書けそうにない。人間であること、人間であること。これを。