何を残すかが問題なんじゃない。
どう生きたかが問題なんだ。
理性も本能も、あと出しジャンケン、後から付けた出まかせの理由だ。
どう生きたか? それがすべてだ。
人への接し方、文の書き方、ぜんぶバレてるよ。
サルトルの「嘔吐」のページをめくれば…
序文にセリーヌの言葉が引用されている。
曰く、「あれは、共同体において、なんら重要性を持たないひとり者で、漸く個人と言えるくらいだ」
大江健三郎もセリーヌに愛着があったそうだ。
やっぱり! さもありなん!
── しかしいつまで、お下劣な言い回し、続けるかね?
おかげで読者は減る一方だよ…