しかし本当に戦争が計画的に行なわれる(A国とB国で戦争になると事前にわかっているC~Zまでの、世界各国のそのスジの人間たちが止めようとするどころか容認して… そして戦争が行われるなら、どうもその確率が高そうだが、それは立派な計画、ハナから道を外れた、非人道の王道を行く「見て見ぬふり、責任転嫁」…)としたら?

 何の権力も力もカネもない、蛆虫みたいな俺なんか一体どうしたら?(「一般庶民は」なんて言わないよ)、これは嘘の入る余地のない切実な問題で、セリーヌの訴えていたことがこの身に起きていることのように感じられて、無視ができない。
 またセリーヌのことを書くことになる…

 ぜんぶ、計画的だったのだとしたら?
 メディア、大衆の目に触れる場に出てくる首相も大統領もケーダンレンも表向きの人間で、彼らがもっとでかいものに操られている人形なんだということは、セリーヌを読むずっと前から感じていた。
 そのでかいものは気配だけで、正体がわからない。表には絶対に出てこない、でも「いる」モンスターの気配のようなものは感じていた。何かそいつはとんでもなく頭の良いヤツで、まさにこの世を動かしている…

 表舞台に出てこないのだから、そこは裏の世界、闇の世界だ。
 暗いところ、目の効かぬところでは不安が掻き立てられ、想像力も研ぎ澄まされる。「恐怖」「畏れ」「おののき」の生まれ場所。
 そんなところから「都市伝説」だとか「陰謀論」が。
 見えない裏、闇のことなんだから、どうとでも言える。都合のいい根拠を当てはめて。
 どこまでがホントでどこからウソなのか、境界線もままならない。

 セリーヌは、売名行為であんな陰謀論的なものを書いたとは思えない。よく売れるために、なんて、そりゃ少しは考え、出版社もそれで売ったのだと思うが、それ以上に強い意志が、自分のこと以上に人間のことを考えてあれだけの文章を書いたのだと思う。
 だから現代の視聴率稼ぎ、PV数稼ぎの「都市伝説」とはまるで重さが違い、信じられるものだ。

「私は医者だ。非現実的なものは信じない」セリーヌは言った。
 だが人間には現実的な鼻の嗅覚だけでない嗅覚もあるだろう。作家としての嗅覚、これは鼻腔のためだけではない…

 ところで医療というのは、こちらのわからない部分を明瞭にしてくれるものだ。この身体の不具合、その原因を明示してくれ、対処さえしてくれる。大抵の場合、病名が付けられ、その枠に入る。
 心理学、社会学、~学と付くものは、その〈学問〉対象を分類する。
 医学の明快さは、生活に最も密着したありがたい学問だ。それも生業としていたセリーヌの作品は机上のものでなく、全て血が通っている… ように思える。

 どこまでが信じられ、どこから疑えばいいのか── わけのわからないものに動かされているのが現行の社会であるとするなら、かなり悲惨なものだ。こんな、コンピュータにここまで支配されるのもヒト族初めての体験だ… 洗濯機や冷蔵庫、テレビやラジオと訳が違う。生活、時間に、とことん浸蝕する… AIばかりでない、もはや抗いようのない流れ、個性という名の画一化、尊重の薄っぺらさ、要するにミテクレ第一、「カネで幸せは手に入らない」なんて死語の世界。

 ウイルスみたいに精神に、ヒトの内部に入り込んでくるもの。
 この空気、波の流れに乗れない人間は、抗う術なく、自殺? 乗りすぎた人間は、人をケ落とし? 無関心、どっちにしても殺伐、なんとも息苦しい社会だよ…

 この社会、世界が、ほんとうに操作されているのだとしたら?
 絶望することはない。世界に絶望することは!
 この社会、世界に絶望した自分に、だからこそ希望が見い出せるはずなのだが。
 そう、希望ってのは他に見い出すもんじゃないんだ、自分に、絶望した自分に見い出すもの… 私はこんな世界に絶望した? 生きられない? そんなことはない、それこそ幻想だ、「見えない世界」の思うツボだよ。