「虫けら」から

『専門家の手で扱われる黄金はいつでも、それを持つ者にとっては最も有効な武器に、持たない者にとっては羨望の的になるものです。黄金をもってすれば、一番手ごわい相手の良心ですら、買い取ることができるのです。あらゆる価値の利率を定め、あらゆる品物の相場を決定し、国家の公債に融資することによって、国自体をほしいままにすることができるのです。

 すでにして世界中の大きな銀行が、証券取引所が、あらゆる政府の債権が、われわれの手中にあります。いまひとつの一大勢力は新聞であります。特定の思想をひきもきらず繰り返しているうちに、新聞はそれを真理として認めさせてしまう。演劇だって同じ役割を果たしているのです(さもなくば映画やラジオは存在していなかっただろう)。至るところで芝居や報道がわれわれの指揮下にあるのです。

 民主主義体制を飽くことなく賞讃することによって、われわれはキリスト教徒をいくつかの政党に分裂させ、国家的統一を崩し、不和の種をまいてやります。無力になってからも、相も変わらず、われわれの大義のために結束し、献身的なわれわれの銀行の掟に従うのです。

 キリスト教徒の自尊心と暗愚を利用して、戦争に駆り立ててやります。そうすれば互いに殺し合うことで、われわれが地歩を占めたい場所から退去するでしょう。

 土地を所有することは、いかなるときも勢力と権力を授けてくれました。社会主義と平等の名のもとに、大きな私有地を分割しようではありませんか。それらの断片をどうしても欲しがる農民どもに与えてやるのです。そうすればいずれ搾取されて借金することになる。資本がわれわれを主人にしてくれます。今度はわれわれが大地主になる番です。そして土地所有はわれわれに権力を保証してくれるでしょう(パレスチナは、次の世界的大革命に備えての、ユダヤ人〈農政〉監視官の訓練所に他ならない)。

 流通市場では黄金を紙幣に替えるよう努力しましょう。わが金庫は黄金を吸いあげ、紙幣の価値を調整するのです。そうすることで、われわれはあらゆる人びとの主人になれるのです。

 われわれの中には熱狂を装って、群衆を説き伏せることのできる演説家が幾人かいます。大衆社会の各層に浸透させて、人類の幸福を実現させるはずの変革を予告させましょう。黄金と世辞の力でプロレタリアの心をつかみ、自分たちの手でキリスト教的資本主義を抹殺させるのです。労働者に、夢にさえ見たこともないような給料を約束する一方、必需品の値段を大幅につり上げて、われわれの利益のほうが依然大きいようにしておくのです。

 こうやってキリスト教徒がみずから実行する革命を用意してやり、われわれはその果実を摘み取りましょう。

 揶揄し攻撃することで、キリスト教の司祭を滑稽な、さらには忌わしい者にしてしまいましょう。その宗教をも、聖職者に劣らず滑稽で忌わしいものにするのです。そうすれば人びとの魂を支配できます。つまり、わが宗教と信仰に対しての執着を見せることで、われわれの魂の優秀さを証明することになります……

 すでにあらゆる重要な位置にわれわれの配下を送り込んであります。異教徒たちに弁護士と医師をあてがってやるよう努力しましょう。弁護士はあらゆる利益に通じています。医師はひとたび家庭にはいり込めば、聴聞師となり、心の指導者になれます。しかし、とりわけ教育を独占しなければならない。そうすれば、われわれに有利な思想を広め、望むがままに人の脳髄を捏ねあげることができます。

 不幸にして仲間の一人がキリスト教徒の司法の網に掛かることが起こったら、救いに駆けつけましょう。みずから判事になるまでは、仲間を判事の手から救い出すのに必要なあらゆる証拠を見つけましょう。

 キリスト教の君主たちは、野心と虚栄心で膨れあがり、豪奢に暮らし、多数の軍隊に取りまかれています。それらの狂気が必要とするあらゆる財源をあてがってやり、鎖につなぎ止めておけばいいのです』

 なんという文書だろう! 胸糞が悪くなるような、恐ろしいような…
 これはユダヤ僧ルゼイクオルンが1865年にプラハの墓地で演説したものだそうだ。
 その原文はやっと11年後に「同時代」誌に、ついでジョン・ラドクリフ卿の「書評」に再録された、と。
 それをセリーヌは「虫けら…」に引用している。()内はセリーヌの意見だと思う。訳は、片山正樹さん。

 これを読んだ時、こわくなった。2024年、今現在にも充分すぎるほど通用する文書ではないか… 教育についてのこと、医師についてのこと… 宗教についても書かれているが、これは仏教だろうがボケ教だろうが何だっていい… ユダヤだろうが何だろうが(差別はいけない!それを武器のように振り翳してもいけない!)、人間の問題、人間世界の問題、人間としての問題だ。
 こんな演説が行われていた、こういう人間がいた、ということが!
 それは人種や性差、国や土壌の問題でなく、人間、人間としての問題だ。
 野心(薄汚い、徳を失した)と虚栄心なんて殆どの人に巣食っているし、カネカネカネ、情報操作、権力、悪だくみ、奸計! そして戦争だ… ばっかじゃなかろか…

  1902年には、こんな文書も…
『大衆を、庶民的な娯楽、ゲーム、スポーツ競技などにより気晴らしをさせること…… ものを考えないように、楽しませてしまうこと。
 邪説でもって精神を毒すること。絶えざる騒音で脳組織を崩壊させ、各種病原菌の感染によって身体を弱らせること。
 至るところに不平不満を生み出して、社会階級のあいだに、嫌悪と警戒の念を植えつけること。
 巨額の税金を課すことで、古い伝統を持つ貴族階級から土地を取り上げ、さらに加えて借財により拘束すること…… ストライキや〈ロック・アウト〉を行なうことで、労使関係を悪化させ、実りある協力が生まれそうな全ての好ましい関係の芽を摘みとること…… 男女の犯す破廉恥行為や愚行を目の当たりにする大衆の怒りを引き起こすこと…… 民衆を実践不可能な思想の迷路に連れ込むよう、あらゆる種類のユートピア思考を鼓舞すること……』

 きりがない! にしても、なんで現代にまるで当て嵌まる?
 昔から、昔々から、人間は何も変わっていない、ってことかい。