「他人が何を考えているか分からないものを、お前がどんな考えたって仕様がないだろうよ」
「お前が他人のことを考えるのは、そいつと会っている最中だけだよ。もうそいつはいないのだから、今彼のことを考えたって、誰のことを考えてるのか分かりゃしない。〈彼〉のことを今お前は思っているつもりだろうが、そいつはほんとうに〈彼〉なのかい? 〈彼だ〉とお前だけが思っている〈彼〉なんじゃないかい?」
「もう彼はここにいないのだから、彼について考えることは止めるんだ。その時間は終わったんだよ。仕事と同じだよ。職場の門を一歩出たら、もう仕事のことなんか考えない。彼と別れたのだから、もう彼のことなんか考えないことだ」
── 恋愛カウンセラーが言う。この人はほんとうに人を好きになったことがあるんだろうか。
あたしは、そんな気持ちになれるわけがない。いや、みんなそうだろう。この人は冷たすぎる。だからカウンセラーなんかやっていられるんだ。
あたしも単なる〈患者〉の一人だ。待合室にも人でいっぱい! いちいち人の気持ちになんか寄り添っていられないんだ、人気商売だもんね!
「Kさん、さっさと忘れるんですよ、あんな男のことは」
「でも」あたしは声高に言う、「おかしいですよ、あなた、あんなにあたしのこと愛してるって言ってたじゃない!」
「時が過ぎたんですよ、Kさん。もう終わったんです。関係がじゃない、時間が終わったんですよ。そういう時間が終わったんですよ」
── 今、確かに診療時間だ。この時間が終われば、この医者としての彼との関係も終わる。でも、この診療所を出たら? 一歩出たら、彼と私が一緒に一歩出たら?
白い部屋。看護師が「時間です」とばかりに促した。「時間なんです」
Kは泣きじゃくりながら部屋を出た。看護師はやさしく彼女の肩を抱きながら。
「ああいう人ですよね。でも私、わかって付き合っているんですよ」
離婚届に判を押そうが、別居していようが、Kはここに来る。医者は、病んだ者と一定の時間を共有するのが仕事だったからだ。
薬をもらい、来週の火曜に予約をとった。彼女は来る前より、少しだけホッとした気がした。