見ないことにする

 自分に意味の無いこと、ましてや、見ればイヤな思いがする、そういう記事は見ない。わざわざ見に行くのは、不平不満を抱えるために行くことになる。もし思慮に浅さ深さがあるとしたら、そこの影響を受けると自分が書きたいことも書けなくなる。そんな影響など受けたくない。良かれ悪しかれ、善悪も自分が決める。いやな気持ちは良いといえない。良くないものは、見なければいい。

 ここに最初に投稿した「創作と投稿についての覚え書き」で、「底辺作家の心得」を書いた。「ピラミッドを支えるもの」として。もうそんな意識もなくなった。勝手にすればいい。所詮 noteにしたって、頂点にはカネ、搾取している賢者がいる。とんでもない賢さで。そこで与えられた「物書き場」はたいしたものではない。繰り返そう、承認要求の溜まり場だ。もう、まわりは見たくない。引きこもる。投函はする。あとは勝手にすればいい。いや、あっちにはもう投函もしたくない気が大きい。

 こちらも、勝手にする。ただし、内的なものから。第一義を、内に置いて。外的なものに基準をおいて、そこからの発動は無意味そのものだ。自分には無理である。
 ──「淋しいから、好きになったの?」むかし、交際した女の子からそう言われたことがある。言葉はそれだけだったが、自分には、それは相手に失礼なことだな、と感じられた。
 そんな想い出話、日常のこと、をまた書いていくことになる。戻った。自分に、出戻った。何も変わっちゃいない。