「日本の古本屋」からキルケゴールの「反復」が届いた。岩波文庫。昭和45年、第15刷。
(2020年に復刊されたとのことだったが、それは在庫切れ)1000円+送料180円。
旧漢字で書かれている。まず字の問題、現代で書かれる漢字より複雑な体で、たとえば「戀」── ナンジャコリャと思って調べたら「恋」だった。「䑓」は舞台の「䑓」、「體」は「体」…
いやぁ、まいったな、ただでさえ難しいといわれるキルケゴールの文章、かてて加えて日本語の漢字が!
憂鬱になりながら読み始める。
発見があった。読める! 文脈の前後から、この読めない漢字も読める!
大体ニュアンスで伝わって来る、これは、こう云いたいから、こういうことだろう、と。
確信が持てず、気になって調べる時も、ネットが役に立った。「骨 豊 旧字」で検索すると、「體」が出てくる。
気になりながら調べずに読み進めても、後から出てきた文脈から、その漢字の意味がわかったりもした。
おや、これは楽しい…
今常用されている漢字も昔はこんな複雑な字体だったんだ。なごりがあるやつ…「反撥」(反発)、「聲」(声)、「豫知」(予知)はわかり易い。
しかし、それより自分に有益だったのは…
「あ、キルケゴール、そんな難しくない!」ということだった。
いや、難しいことは難しいが、そういう箇所もある、ということだった。
これは自分の「心構え」が変わったことに起因すると思う。10回位読み返さないとキルケゴールは解りません、と識者がいう。
ならば1回ですべて理解しようとせず、最初から10回読み返すつもりで読もうと思ったのだ。
ワンセンテンスが理解できず、そこで長い時間考えてつまずいているより、「何となく」わかった気になりながら進めることにした── すると、「わかろう、わかろう」として考え続けていた読み方に比べて、キルケゴールがニコニコしながら自分の中に入って来た気がした!
もちろん本当にわかったはずではないと思うから、また読み返すだろう。何回も。まさに反復。
もともとキルケゴールは生きるための哲学、学問だ。考え込むためのものではない、その「生きるため」に行くまでには、考える、ということだ。
たぶんこの旧漢字が使われていることも、一役買ってくれたと思う。真正面からキルケゴールとサシ向かおうとしていた自分と彼の間に、ワンクッション、寄り道… 迂回するような効果があったのだ。
急がば回れ。ぐるり回ることで、キルケゴール、この人の全體像のようなものが輪郭をもって良く見えた… 土星の輪、あの輪の上を辿って、彼のまわりを回っているようだった…
これがキルケゴールの読み方か。
今まで、あまりに覚悟をもって、まるで必死に読もうとしていた。
「そうだよ、気楽でいいんだよ」
本の中の彼が、こっちを向いて微笑んでいる気がした。
でもこれからだ、この人と向き合い、ほんとうにつきあうのは。
いっぱい時間が要る。ありがたい!
ところで現在、漱石の「草枕」とセリーヌの「ギニョルズ・バンドⅡ」も読んでいる。そして「反復」…しっちゃかめっちゃかの体を為してきたが、彼らが人間について真剣に考え、自身の血をもって書いていたことに変わりない。
途轍もない、途方もない共通点。でも全然、通じている。